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札幌交響楽団

札幌交響楽団

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お客様アンケート※ 2021年9〜10月に実施

札幌市在住 59歳(会員)
札響の演奏会で最も印象に残っている演奏会とその理由をお書きください。
「最も」というのは一つに絞れ、ということなのでしょうがこれが難しい。いくつか印象的な、ということで挙げてみます。

2001年3月定期(第433回)。定期会員になるまで札幌に住んでいませんでしたが、「同時代セレクション」の最終回で、松村貞三のピアノ協奏曲第2番をやるというので有休を取っていきました。実は初演時と同じ指揮者とソリストというのが肝であり、当時存命中の松村氏が来札されていたことも大きい。個人的には松村氏を師匠に持つ作曲家が友人にいるのでその関心も大きかったことがあります。

2003年5月定期(第457回)。初めてのマーラーの交響曲第9番。今から40年以上前、当時のNHK-FMは今よりもローカル枠が充実していて、月-金の午後6時台は新人アナウンサーの番組作りの登竜門的役割がありましたし、土曜日の午後3時10分から6時までは約3時間のリクエストアワーをやっていました。その中で月1回はクラシックオンリーで、それをローカルでやること自体冒険だとも思うのですが、長時間ですから長い曲もかけられることになる。時代は音楽雑誌の番組表でエアチェックすることがあって、ある時マーラーの9番をやることが判りました。当時は今より話題にはなりにくいマーラーのしかも9番だったので、興奮して聴いた記憶があります。確かショルティ指揮、といえば管弦楽団はシカゴ交響楽団となります。長くなりましたが、その記憶があってからの初めて生でしかも札響としても初のはずで、期待大。特に最終楽章の最後の部分がどうなるかが観点でもありました。そう、チャイコフスキーの悲愴にも匹敵する最弱音で終わる部分、私の席はCCブロックの最後方ですから、壇上からは一番遠い位置になる。果たして最後の音までしっかり確認しました。ええ、キタラの音響の良さの証明にもなったわけですが、それを体感できただけでも価値がありましたねえ。

2007年1月定期(第495回)。まずステージが真っ黒なのに驚き、井上道義氏といえば、普段でも踊りながら指揮するけれども、実際に踊り姿を見たのは衝撃的でした。いやこういう異色な定期も悪くないという記憶があります。
札響の演奏会等で印象に残っている演奏家(楽団員も含みます)とそのエピソードをお書きください。
これも難しい。あえて挙げれば小曽根真になりましょうか。2003年10月定期で初めて(『ラプソディー・イン・ブルー』以外の)クラシックの曲を弾いたことも、話題性としては大きかったわけですが、何よりジャンルが違うのにミスなくやりきったことに驚きました。大半の場合優秀なソリストでも、素人耳であれ?と感じることは演奏中何度かあるわけですが、それがない。しかも初ジャンルの挑戦で。その後も何度か共演していますが、基本的な感想は変わっていません。

あとこれはアンコールでの出来事での記憶ですが、結果的に札響での指揮が最後になってしまった山本直純指揮の2002年5月の名曲シリーズ。『男はつらいよ』をやったわけですが、その時に寅さんの格好でクラリネットソロをやっていたのが現事務局長の多賀氏ということで。やはり見た目の印象は記憶に残ります。
その他、印象に残っている札響の活動がありましたら、お書きください。
まあ、きっかけが経営危機にあったとはいえ、定期演奏会前のロビーコンサートは当時他の団体がやっていない中でのさきがけで、画期的とも言えましたね。時に退団する団員のはなむけの場になることも効果的ですし。最近のコロナ禍にあって生で聴けないのは残念ですが。

ニューイヤーコンサート&パーティのスタイルは、他でやっているのでしょうかね? 東京や大阪では当然無理だろうし。来年1月はできるのでしょうかねえ?
〝還暦〟を迎えた札響へのメッセージをお願いいたします。
この場が適切かどうか、いくつかのお願いというか希望することがあります。

当初エリシュカ氏生誕90年記念の演奏会が予定されていたというのは、それが断念される報告があるまで知りませんでしたが、ということは10年後の2031年は札響70周年と同時にエリシュカ氏生誕100年ということにもなります。

過去の周年記念では40周年・50周年時に海外公演をしているわけですが、70周年にはできればやってほしい。その際にはエリシュカ氏を含む歴代首席指揮者の出身地や関連地を巡るというのもありかもしれません。少なくともチェコには札響の成長した姿を見せに実現してほしいものです。

正指揮者であった高関健氏のCDといえば、札響とでは『カルミナ・ブラーナ』しかありません(オリジナルブランド以外では、伊福部昭作品の演奏がCD化されていますが)。珍しいところではメシアンの『トゥーランガリラ交響曲』がありますが、これがCD化されていないのは残念でなりません。障害がなければ実現してほしいものです。
札幌市在住 67歳
札響の演奏会で最も印象に残っている演奏会とその理由をお書きください。
たくさんありますが、その中から敢えて三つ選びました。
①第83回定期(1969年4月)。私が初めて聴いた札響定期公演です。当時私は15歳の中学3年生。山岡重信さん指揮のブルックナー4番に感動しました。こんな音楽があったのかと。
②第100回定期(1970年11月)。ペーター・シュヴァルツさんが常任指揮者になられ、札響がブルックナーを何回も取り上げて下さり、私は札響-ブルックナーという組み合わせの虜になりました。
③第494回定期(2006年12月)。エリシュカさんが初めて札響に登場した定期です。「どこのおじいさんを連れてきたのだろう」と全く期待していなかったのですが、その音楽に圧倒されました。それ以来、エリシュカ-札響の演奏を毎回楽しみにしていました。最高のコンビだと思います。
札響の演奏会等で印象に残っている演奏家(楽団員も含みます)とそのエピソードをお書きください。
札響の歩みは私の人生の歩みと同調しています。シュヴァルツ、エリシュカ、尾高と札響は良い指揮者に恵まれてきたと思います。是非、新たに若い指揮者を迎えてほしいと思います。
横浜市在住 57歳(会員)
札響の演奏会で最も印象に残っている演奏会とその理由をお書きください。
最も印象に残っている演奏会は、エリシュカさんの最後の演奏会(2017年10月28日@Kitara)です。『シェエラザード』の終演後、何度も舞台袖から出てきて手を振ってくれた好々爺の姿を忘れられません。ロビーにたくさんの写真が展示されていたことも思い出深いです。
札響の演奏会等で印象に残っている演奏家(楽団員も含みます)とそのエピソードをお書きください。
指揮者のラドミル・エリシュカさんです。私は子供のころ『新世界より』が一番好きでしたが、次第にやや凡庸な曲と感じるようになりました。ところがエリシュカさん指揮/札響の『新世界より』を聴いて一変、曲と演奏のすばらしさに強いインパクトを受けました。エリシュカさん指揮/札響のCDはブラームスもチャイコフスキーも世界に誇れる完成度の高さだと思います。コンサートマスターをされた大平まゆみさんものびやかでかつ芯のある音色が好きでしたので退団のニュースはショックでした。
その他、印象に残っている札響の活動がありましたら、お書きください。
1972年1月、札幌市民会館において阿部謙夫初代理事長(私の祖父)の社葬で演奏された『英雄』第2楽章の響きと空気感が、長年自分の中に残っています。当時私は小学生でしたが、『50年史』に「札響史における隠れた特段の名演」との谷口さんの言葉を読み、あの時の演奏は別格だったのだと思いました。
〝還暦〟を迎えた札響へのメッセージをお願いいたします。
還暦おめでとうございます。昨年来のコロナ禍では演奏活動ができず、つらく苦しい状況にあるとお察します。そのような中で、団員演奏やアーカイブのオンライン配信やクラウドファンディングなど、できうることにしっかり取り組まれていると感じます。私は離れたところに住んでおり演奏会で聴く機会も少ないですが、今後も応援し続けたいと思っております。末永く、札幌を拠点とする日本の代表的オーケストラであり続けてもらいたいと思います。世の中には音楽を必要とする人たちが間違いなくおります。よろしくお願いします。
埼玉県新座市 60歳
札響の演奏会で最も印象に残っている演奏会とその理由をお書きください。
①1970年5月1日、札幌市民会館(指揮:シャルル・デュトワ、Fl:オーレル・二コレ)。母に連れられて生まれて初めて出かけたコンサート。後年、東京でも、家族で多くの来日公演に接し、親子3代のデュトワ・ファンに。

② 1970年12月3日、札幌市民会館「第九」(指揮:ペーター・シュヴァルツ)。録音も含め初の「第九」体験。オーケストラがそろい、指揮者が出てきて何かが始まったと思ったら、あっという間に音が膨れ上がり、第1主題がTuttiで鳴り響いた瞬間の衝撃は今でも忘れられません。また、当時はコーラスが第1楽章から立ちっぱなしのため、第3楽章あたりで女声団員数名が貧血で倒れ、男声団員に抱えられ舞台袖に運ばれていったのが、なんだか「ものすごい」光景として目に焼き付いています。

③1972年3月29日、北海道厚生年金会館(指揮:岩城宏之、Fl:小出信也、Hp:木村茉莉)。 クラシックファンでなかった父と行った唯一のコンサート。父と出かける機会は少なかったので、大切な思い出です。

④1974年3月25日、札幌市民会館「第6回札響ミリオンコンサート」(指揮:ペーター・シュヴァルツ、Fl:細川順三)。お金のない中学生にとってワンコイン(100円!)のチケット代はとてもありがたかったです。

⑤1974年9月6日、札幌市民会館(指揮:小澤征爾)。嬉しくて前の晩眠れませんでした。『ローマの謝肉祭』での真弓先生のトロンボーン、『幻想』での高鹿先生のクラリネット、今でも耳に残っています。

⑥1975年12月23日、北海道厚生年金会館(指揮:小泉ひろし、Pf:宮沢明子)。『皇帝』の演奏中、年末でお疲れ気味の楽員さんたちを、明子さんがアイコンタクトとジェスチュアで煽って(励まして?)いたのが微笑ましかったです。

⑦1978年5月12日(指揮:小澤征爾、Fg:戸澤宗雄)開演約2時間前、会場の函館市民会館前の公園を通りかかったら、白い服を着たボサボサ頭の男性が芝生に寝転がって、何やら大判の分厚い本(おそらくスコア)に読みふけっているのを発見。「まさか」と思いつつ目を凝らしてみると(やっぱり)小澤さんでした!

⑧1988年8月6日、サントリーホール(岩城宏之さん「サントリー音楽賞」受賞記念コンサート)。武満徹とブラームスの組み合わせ。今まで聴いたすべての演奏の中で最美の「第2交響曲」でした。

⑨日付不明、函館市民会館(指揮:手塚幸紀)。大雪のため函館本線の列車到着が大幅に遅れ、午後7時半頃開演。リハーサルもままならない中での本番でした。鬼気迫る演奏に会場は大盛り上がり。
(札響の思い出はほかにもたくさんあって書き切れません。音楽以外の話が多くてごめんなさい)
札響の演奏会等で印象に残っている演奏家(楽団員も含みます)とそのエピソードをお書きください。
ペーター・シュヴァルツ先生。中学までを札幌で過ごした私にとって、札響=シュヴァルツ先生でした。たくさんの楽しい演奏会に感謝です。リハーサルの合間でしょうか、札幌市民会館前の大通公園を歩いて行かれる姿を何度かお見かけしたのも懐かしい思い出です。東京公演(オーチャード・ホール)でのアンコール曲『ピチカート・ポルカ』のチャーミングな演奏も忘れられません。
その他、印象に残っている札響の活動がありましたら、お書きください。
札幌市立中学校対象の「音楽鑑賞教室」。
〝還暦〟を迎えた札響へのメッセージをお願いいたします。
今年、札響と同じ60歳になりました。オーケストラ自体には「定年」がないのは何と素晴らしいことでしょう。今後の益々のご発展を祈念いたします。コロナ禍の昨今、なかなか札幌にも帰れませんが、そう遠くない将来、札響の生演奏を聴ける日の来ることを楽しみにしています。楽団員の皆さん、そして既に卒団された先生方もいつまでもお元気で!
札幌市在住 66歳(会員)
札響の演奏会で最も印象に残っている演奏会とその理由をお書きください。
私が青年期の頃、静内町で岩城宏之さんが指揮する札響が、3年連続チャイコフスキーの交響曲No.6~4を演奏してくださり、それ以来、札響のファンになり、現在に至っています。
札響の演奏会等で印象に残っている演奏家(楽団員も含みます)とそのエピソードをお書きください。
ラドミル・エリシュカさんのブラームスNo.1(2017年3月、第597回定期)が印象深いです。それまでのチャイコフスキーもよかったですが、ブラームスの深淵なオーケストレーションを聴かせていただきました。
その他、印象に残っている札響の活動がありましたら、お書きください。
転勤先の地方で札響演奏会(ほくでんファミリーコンサート等)に接することができて、感謝しています。札幌から離れていても楽団員の顔を忘れませんでした。
〝還暦〟を迎えた札響へのメッセージをお願いいたします。
クラシックの音色は世代を越え、人生の糧となります。大作曲家の作品群に負けぬよう、末永く札響のハーモニーが続くことを祈念します。