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札幌交響楽団

札幌交響楽団

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お客様アンケート※ 2021年9〜10月に実施

北広島市在住 58歳(会員)
札響の演奏会で最も印象に残っている演奏会とその理由をお書きください。
1992年1月に厚生年金会館で行ったベルリン・フィルの4人のホルン奏者と行った演奏会(『ベルリンの華麗なる響き』 指揮:山下一史、ホルン:ゲルト・ザイフェルト、ノルベルト・ハウプトマン、マンフレート・クリアー、クラウス・ヴァレンドフ、トランペット:マルティン・クレッツァー)。私はアマチュアのホルン奏者です。当時旭川に住んでいましたが、この演奏会が開かれると聞き、有休を取って札幌に出かけました。前半はシューマンの『4本のホルンのための小協奏曲』でしたが、期待通りの名演で、ベルリン・フィルの4人のテクニックとパワーに圧倒されました。

しかし、後半のR.シュトラウスの『アルプス交響曲』はさらに凄かった!というのも、1st~4thホルンは札響、5th~8thはベルリン・フィルのメンバーと、「世界一のホルンセクション」を従えた演奏でした。札響のホルンセクションはベルリンのメンバーに勝るとも劣らない見事な熱演。感動しました!!

アンコールには舞台裏で吹いていたバンダのホルンメンバーが全員登場し、舞台上の8人も共にフンパーディンクの「夕べの祈り」を演奏。ホルン奏者であれば何度も聴いているし、何度も吹いている曲ですが、もの凄く感動して涙が出てきたのを覚えています。

この演奏会のことは、死ぬまで忘れないと思います。
札響の演奏会等で印象に残っている演奏家(楽団員も含みます)とそのエピソードをお書きください。
上記の総勢20名ほどのホルン奏者。
その他、印象に残っている札響の活動がありましたら、お書きください。
昨年、コロナ禍のため札響も演奏会が開けず経済的苦境に陥り、それを埋めるためにクラウドファンディングで出資を募りました。その中に、100万円の出資の返礼として「札響の演奏で母校に校歌をプレゼント」というのがありました。私を含む母校の同窓生3人が実行部隊となり、同窓生やPTAの仲間から出資金を募り、期限ぎりぎりで100万円を集めることが出来ました。録音は昨年の12月に芸術の森アートホールで行われ、同窓生5名がその様子を見学させていただきました。演奏・録音していただいたのは、私の母校の校歌と賛歌の2曲。その演奏のあまりの素晴らしさに感動し、参加者全員目から熱いものが流れました。今、その録音は学校及び同窓会、世界規模の同窓会のホームページに紹介されています。我々にとって、得がたい宝物となりました。
〝還暦〟を迎えた札響へのメッセージをお願いいたします。
「還暦」というのは、また赤子に戻るという意味もありますが、この北海道の地に道民のために誕生したという初心をいつも内に秘めつつ、「60歳」という円熟した演奏をこれからも我々ファンにお届け下さい。そして、これから70年、80年……とさらに熟成していくのを楽しみにしております。

私の方も聴くだけではなくさまざまな形でこれからも「我らが札響」を支援していきたいと思っております。
札幌市在住 66歳(会員)
札響の演奏会で最も印象に残っている演奏会とその理由をお書きください。
PMF2002の教育セミナーに参加しました。その年、札響も参加しており、セミナー参加者はゲネプロを聴くことができました。曲はマーラー、指揮は尾高忠明さん、場所は芸術の森野外ステージです。聴衆は私たちだけ、そして、鳥の鳴き声がマーラーの音楽に混じります。自然の中で、贅沢な演奏を聴くことができました。忘れられない思い出です。
札響の演奏会等で印象に残っている演奏家(楽団員も含みます)とそのエピソードをお書きください。
最近、メディアに引っ張りだこの漫画家ヤマザキマリさん。お母様が札響のヴィオラ奏者だったということで、『ヴィオラ母さん』という本も書いておられます。たまたま過去の札響定期のプログラムを引っ張り出して眺めていたところ、1989年1月26日第299回の団員名簿に、山崎量子さんを発見しました。私は、量子さんのヴィオラを聴いていたんですね。本によると、彼女は札響の最初の女性団員の一人で、今も北海道に住んでおられるということです。
その他、印象に残っている札響の活動がありましたら、お書きください。
hitaru ができ、本格的なオペラやバレエが行われるようになりました。ピットでの札響の演奏の素晴らしさに感激しました。
〝還暦〟を迎えた札響へのメッセージをお願いいたします。
60周年おめでとうございます。私にとって、音楽のある日常に札響は欠かすことができません。これからも聴き続けます。よろしくお願いいたします。
札幌市在住 63歳(会員)
その他、印象に残っている札響の活動がありましたら、お書きください。
それは私が中学2年生の1971年夏、藤女子大の講堂で開催された全生徒を対象にした札響による音楽教室でした。正直に言うと、この日、何の曲が演奏されたのか全く記憶にありませんでした。すると、その様子を当時の生徒会役員が記した卒業文集を読む機会があり、思い出したのです。参考にその文集の写しを添付します。(★「札響音楽教室」感想)

この日、私にとっても、多くの仲間にとっても初めてのクラシックコンサートでした。しかし、初めて聞く曲ばかりで戸惑いがあった上、曲の長さに閉口していました。その結果、当初、静かに聞いていた私たちは次第に話し声が多くなっていったのです。そして、ベートーヴェン第7では、それがピークに達し、オケの響きと共におしゃべりの雑音が合わさり、騒然たるものになりました。

この当時、私もクラシックには全く興味がなく、仲間とおしゃべりをしている一人でした。そんな中、先生がしばしば静かにするよう注意していましたが、一時的な効果しかなかったようです。現在の音楽教室は短い曲や馴染みのある曲を演奏しているようですが、この頃はベートーヴェン先生の交響曲などを丸ごとドンと置き、「さあ聞け」、「きちんと聞け」、「じっくり味わえ」というクラシック権威主義が蔓延っていました。その結果、逆に私を含め、クラシック嫌いを増やしたような気がします。

今ではシュヴァルツさんや当時の札響に対して、大変、失礼なことをしたと思っていますが、当時の私たちは間違いなく「こども」だったのです。一方、今の私にとっては「音楽の在り方」を改めて考えさせられるきっかけにもなりました。

因みに、この日、終演後に教頭先生が壇上に上がり、「こんな騒がしいコンサートは初めてだとシュヴァルツさんが怒っていたぞ」と叱られました。当然のことです。
 
★「札響音楽教室」感想
 七月十四日、藤大講堂で行なわれた「札響音楽教室」はたいへんユニークな企画であった。生のオーケストラを聞く機会の少ない中学生によい経験になったと思う。ただ難をいえば選曲が中学生向きではなかった。そのためか会場は非常に騒々しかった。指揮者のシュバルツさんがよく最後まで演奏したと思う程であった。札響の演奏は「さまよえるオランダ人」ではとてもよかったのだが、ベートーベンのロマンス・第七交響曲と進むにつれ、乱れが生じてきた。特に後者の「第二楽章」アレグレットの美しい音楽を聞いても反応を示さぬ中学生に、シュバルツさんは怒ってしまったのか、残りの二つの楽章を普通の倍の速さで指揮をした。
 この演奏会でわれわれは何を得たろうか。古典という神々しい門の入口までは来たかも知れない。しかし私たちは中へ入る努力を知らなければならないと思う。
 少し本題からはずれるが、中学生のクラシック嫌いを直すには今のところ対症療法しかない。それは解りやすい音楽を聞かせることである。もし今後これと同じようなものをやる時には、そう、「くるみ割り人形」あたりどうだろう。それでだめならもう終わりだ。今回の演奏会の成果として筆頭にあげるべきものは、広い講堂内での雑談で、互いの友情を深めたこと、そして愉快に笑い、はしゃいだことをあげておくのが妥当であろう。
——札幌市立新琴似中学校 生徒会誌「新樹」第10号 1972年(昭和47年)3月
(編注:筆者の許可を得て掲載しました)
〝還暦〟を迎えた札響へのメッセージをお願いいたします。
札響にはまだまだ伸びしろがあります。北海道文化を担う重要な役割を果たす役目がありますので、さらなる飛躍を期待しています。
札幌市在住 76歳(会員)
札響の演奏会で最も印象に残っている演奏会とその理由をお書きください。
・「真夏の札響の第九」1966年7月28、29日(札幌市民会館、小樽市民会館)。指揮:岩城宏之、ソリスト:加藤綾子・長野羊奈子・金谷良三・大橋國一。初めて歌った第九。以後ノインテコールとして90ステージほど歌わせていただいた。

・2011年4月23日の第538回定期演奏会。指揮は首席客演指揮者ラドミル・エリシュカさん、ドヴォルジャークの『スターバト・マーテル』(「聖母はたたずんでいた」の意で、「悲しみの聖母」と呼ばれている)が演奏された。

折しもこの日24日は、復活祭(春分の後の満月の後の最初の日曜日)であり、このイースターの2日前は、「キリスト受難の聖金曜日」(キリストがゴルゴタの丘で十字架につけられた日)で、キリスト教国では国民の祭日となっている。定期の2日間公演の初日は、まさしく聖金曜日当日であったが、エリシュカさんはその偶然に驚かれたという。

チェコではこの日は全国でドヴォルジャーク(エリシュカさんは、故国のドヴォルジャーク協会会長でもある)のこの曲が演奏されているそうだ。定期公演のプログラムはほぼ一年前に決められているが、この悲しみと痛みに満ちた宗教曲の演奏が、東北大震災という日本の悲劇に捧げられることになろうとは誰が想像できたろう。

エリシュカさんは、「今回の『スターバト・マーテル』の演奏は、この大震災の犠牲者の方々へ捧げたいと思います。私だけでなく聴衆の皆様と共に」とプログラムに言葉を寄せられている。
 休憩なしで100分の演奏が終わったとき、エリシュカさんはタクトを指揮台に置き、両手を指揮台に置いて長い間、深く頭を垂れておられた。ややしばらくしてサワサワと静かに拍手が起こり、指揮台を下りて立派な演奏をしたソリストと握手、合唱団員の演奏を讃えて両手を高く掲げて腕を差し伸べ、オケを立たせて、再び指揮台に上って客席のほうに振り向いたとき、荘厳な拍手が会場に満ち溢れた。

バッグに傘があったが、霧雨のようなポツリポツリと落ちてくる小さな雨に漏れながら帰途についた。ちょっと寂しくも心には満たされるものが溢れていて、東北の人のことを思って歩いて帰ってきた。
札響の演奏会等で印象に残っている演奏家(楽団員も含みます)とそのエピソードをお書きください。
・指揮者小泉和裕さんの思い出
2018年10月27日、札幌交響楽団の定期演奏会(第613回)があった。1年前から小泉さんの『エロイカ』を楽しみにしていた。ブルッフのヴァイオリンコンチェルトを含めて、全ステージ暗譜で振られたが、特に『英雄』は、テンポ、強弱とも振幅の大きなスケール感で、その想いや意思というものが強く感じられる演奏だった。指揮のスタイルは昔とちっとも変わっていない。以前はステージ上の正面からしか指揮を見ていなかったけれど、腕の運びはカラヤンとほんとうによく似ていた。

1973年にカラヤン国際指揮者コンクールに優勝してカラヤンのアシスタントを務め、その後ベルリン・フィルの定期公演や、フランス国立放送管弦楽団を指揮するなど華々しい経歴を重ねていた。1977年から3年間、札響の「第九特別演奏会」は小泉さんの指揮で6ステージ歌ったことがある。小泉さんは28〜30歳の若さだったこともあってか、とても謙虚な振る舞いで、オケやソリスト、合唱団員に対しても丁寧な言葉遣いであったことと、短い言葉での的確な指摘に納得の連続であった。昔は、ソリストと合唱団員は第3楽章からステージに立つことが多く、音楽が途切れることを嫌った指揮者は合唱団員を第1楽章からステージに立たせることもあった。途中で倒れる人も出てきて2日目はまた元に戻ったりしていた。会場が市民会館から厚生年金会館になってステージが広くなってからは、ステージに椅子が並べられて第1楽章から指揮者の姿を正面から見られるようになった。

小泉さんの第3楽章アダージォの「美しさ」は絶品であった。これまで20人以上の指揮者で第九を歌ってきたが、岩城宏之さんと小泉さんの緩徐楽章にはいつも感心していた。

小泉さんは1949年の生まれで4歳年下に当たるが、やはり古希の風貌になられたと思った。

満たされた想いでコンサートホールを後にし、帰って来て昔のプログラムを引っ張りだして眺め、しばし思い出に耽った。当時のパンフレットの《「第九」異聞》(武川寛海)には、当時の状況が語られている。
「このところ年末になると特異な現象が二つ見られる。その一つは、普段は全くお土産など家に持って帰ってくることのなかった父親が、大きなクリスマスケーキの箱を抱えて家路を急ぐことであり、もう一つは、およそ音楽会とは縁のなかったような人たちまでが、「第九」の演奏会場を埋める、ということである。ひと昔までは、「(第九は)楽員たちの暮れの餅代かせぎ」といわれた。歌舞伎の暮れの「忠臣蔵」と同じく、必ず客が入ったからである。

苦難の途を通り、目出度く本懐を遂げるという話と、苦悩を通して歓喜に到達する、という趣向が歳末にぴったりであるからであろう。ともに名作であるからであるのは、これはもちろんのことである」

第九に関して何時も感じることは、一年の総まとめとして「春の嵐」、「夏の躍動」、「秋の沈潜」、「冬の回顧と希望」と言う4楽章の廻りを感じて、来るべき新春を爽やかに迎えようという気にさせてくれる。
その他、印象に残っている札響の活動がありましたら、お書きください。
札幌交響楽団が積極的に道内各地で演奏会をされていること、学校を訪れ、さらに学生さんを招待するなどの活動をしていることが、どんなに聴く人の心を潤し、歓びを与え、励ましていることか。

こうした地域の人々の心を揺り動かす札響のフィランソロピー活動が、もっと広く知られてほしいものだと思っています。

札響は札幌市民の誇りであり、宝です。何時も真摯な取り組みに拍手を送ります。これからもずっと、市民に素敵な音楽を聴かせてください。
(編注:【3】にも長文の回答(清水町の「第九」や、札響創立当時の理事長・阿部謙夫氏のエピソードなど)をいただきましたが、ここでは割愛させていただきました)
パトロネージュ会員
〝還暦〟を迎えた札響へのメッセージをお願いいたします。
まずは60周年おめでとうございます。これまで多くの演奏で道民に感動と喜びを与えてくれたことに、改めて感謝と御礼を申し上げます。

札響のコンサートは毎回感動できる演奏が多く、都内で聴くコンサートとは別物でした。これまで120回程度コンサートを聴いていますが、Kitaraでやる札響のコンサートほど観客と演奏者が一体となる演奏会はそうないのではないかと思います。札響ファンは真剣に聴こうとしていますし、演奏前から一音ももらすまいという空気が会場内に漂っている気がします。

もちろん尾高さんをはじめ、海外の有名マエストロや札響メンバーの演奏はすばらしいのですが、聴衆の意識の高さが相まって札響の演奏会を質の高いものにしていると感じています。札響ファンは手が痛くなり、演奏後に掌が赤くなるほど拍手します。ほんとうに演奏に満足したという拍手をしています。舞台上の楽団員が一番うれしい瞬間だと思いますが、感動を共有できる質の高い聴衆が札響を支え、育ててきたのだともいえるのではないでしょうか。

そういう意味では、聴衆とともに発展してきた地方楽団でもあるかと思います。小生がこれまで札響を聴いた中でもっともよかったのは、2015年のポンマーさんの第九です。荘厳で力強く、これまで聴いたどの第九より感動しました。合唱団も素晴らしかったと思います。また、PMF2018でのベト7も素晴らしい演奏でした。ベト7はこれまで多くのオケで20回以上聴きましたが、あれほどメリハリがあり力強く、シャープな演奏は聴いたことがありませんでした。今後の希望としては、ヴァイオリンの名手であるヒラリー・ハーンと札響のショスタコーヴィチの協奏曲をぜひ聞いてみたいと思っています。   

今後とも札響さんが道民に感動する演奏を届けてくれる限り、生涯パトロネージュでありたいと思っています。札響は道民の誇りであり、至宝です。今後とも活躍と発展を願っています。