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楽団員アンケート※ 2021年11〜12月に実施

土井 奏
ヴァイオリン
2011〜2021年の間で、記憶に残った出来事
《コロナ禍》 メンバーが集まり、お客様にご来場いただいて演奏会を開催するということが、自分が思っていたより全然普通のことでなかったと思い知らされた。
《2011年5月 創立50周年ヨーロッパツアー》 当然だが、いつも演奏には全力を注いでいるつもり。ただこのツアーでは皆(自分も)普段感じない刺激がすべて音になっていたように感じた。今まで感じたことのない発信力、一体感。この経験は今でも自分の中での宝物です。
《2011年3月 東日本大震災》 つい数週間前に行っていた石巻などが大きな被害を受けているのをTVで見て、本当に心が痛む思いをしたし、いつか必ず恩返しをしたいと思っていた。我々も人間だから、人との出会いで音も演奏も大きく変化すると実感した。
2011〜2021年の演奏会で、印象に残っているベスト3
《2015年 9月 580回定期 ホリガー初登場》 インスペクターをやっていたので、リハーサルには困難を極めたが(彼には時間という概念がない)シューベルトの『未完成』は後にも先にも感じたことのない陶酔感を感じた。彼のやろうとする音楽がそこにあり、我々はそれを感じ、音にしただけだった。
《2018年10月 hitaruこけら落とし『アイーダ』》 バッティストーニの圧倒的な存在感と音楽性。オペラに不慣れな私たちを異次元のオペラ世界に連れて行った。すごいの一言だし、札響の新しい活動フィールドへの可能性を示唆してくれたように感じる。ぜひまた共演してみたい。
《エリシュカの最後の日本公演(東京公演)》 エリシュカ渾身のブラ1。オケを「鳴らす」ことに命をかけた指揮者の音の体現を肌で感じた。カーテンコールに指揮者自身、オケがはけた後も一人で何回も答えた姿が今も目に焼き付いている。もちろん、最後の公演での『シェエラザード』(最初の出会いの曲)も忘れがたい。
「還暦」となった札響の楽員として、これからこのようなオーケストラでありたい、このような楽団を目指したい、という自分なりの抱負
私がオーケストラで弾き始めた頃、ヨーロッパの各著名オーケストラ、ロシアのオケ、アメリカのオケ、それぞれに「個々の音」があったように思う。音楽教育の質が全体としてハイレベルになった今日、演奏のクオリティは全世界的に飛躍的に上昇したと思う。ただ以前のように「音楽的方言」を語るオケもずいぶん少なくなった側面も否めない。私は、札響は「札響という方言」で音楽を創造する、No.1のオケではなく、Only1のオケになってほしい、なりたいと強く願っている。(たとえば)ヨーロッパ公演時に聴いたミュンヘン・フィルのブルックナー。素晴らしいのは、No.1だからではなく、聴く人にとってOnly1であるという特別感がもたらすものだと思う。例えば大谷翔平のように。北海道、日本という土地、人に認められる存在になりたいし、なるべきだと思う。
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