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札幌交響楽団

札幌交響楽団

History 1961 - 2021

2021年9月12日 60周年を祝った第640回定期演奏会 指揮 マティアス・バーメルト
第6章 バーメルトと歩む新時代
[2011 - 2021]

それでも音楽は
止めない

 2010年代以降、札幌交響楽団はこれまで経験のない大きな災厄に翻弄される。2011年の東日本大震災、2018年の北海道胆振東部地震というふたつの自然災害、そして2019年末から現在に至るCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の世界的大流行である。いずれも札響の演奏活動自体に影響を与え、とくにコロナ禍は、数ヶ月にわたって全公演を中止せざるを得ないという、深刻な事態に直面した。未曾有の災厄を乗り越えてきた10年を振り返りつつ、首席指揮者マティアス・バーメルトと歩む未来を展望する。(敬称略、肩書き・年齢は当時)
 
⇨「バーメルトが語る これからの札響」
 
 

2011年

犠牲者に捧げた『スターバト・マーテル』

 

 3月11日午後2時46分。マグニチュード9.0、宮城県沖で最大震度7(宮城県栗原市)の地震が発生した。国内観測史上最大規模の揺れと巨大津波、それに伴う原子力発電所の事故で、前例のない甚大な被害をもたらした。札幌では中央区と北区が震度3を記録し、翌12日に予定されていた札幌駅前通地下歩行空間(チカホ)の開通記念式典は中止になった。札響金管セクションがファンファーレを吹奏することになっていた。

 東日本大震災の当日、札響は12、13日に札幌市教育文化会館で開催される北海道二期会創立45周年記念のドニゼッティ『愛の妙薬』のリハーサルを控えていた。開催に支障が出るような被害は認められず、練習も本番も予定通りだった。だが、何より繰り返し報道される被災地の様子に誰もが胸を傷め、不安に揺れた。北海道二期会理事長の三部安紀子は「このような喜劇を今やっていいのか」と悩んだ。コンサートマスターの大平まゆみは、郷里仙台に住む母親と妹家族の身を案じ「母の顔が急に見たくなって、2週間前に仙台で会ったばかり。現地の状況が分からず、ずっとテレビを見ています。寒さにふるえていないか、考えると胸が痛い。一言、『元気だよ』と連絡がほしい」と胸のうちを語った(3月13日、北海道新聞朝刊)。

 道二期会オペラに続き、18、19日に3月定期演奏会(第537回)があり、正指揮者の高関健がマーラーの交響曲第7番『夜の歌』を振った。開演に先立ち、哀悼の意を込めてチャイコフスキーの組曲第4番『モーツァルティアーナ』より「祈り」を演奏。ロビーで義援金を募る楽員に混じり、募金箱を抱えた高関の姿もあった。

 4月定期(第538回)は、首席客演指揮者のラドミル・エリシュカがドヴォルジャークの『スターバト・マーテル(悲しみの聖母)』を指揮した。演目は1年前に決まっていたものの、エリシュカはプログラムに「今回の「スターバト・マーテル」の演奏は大震災の犠牲者の方々へ捧げたいと思います。私だけでなく聴衆の皆さまと共に」とメッセージを寄せた。音楽評論家の奥田佳道は音楽会評で、合唱団の健闘を特記した。「幼子を相次いで失うという悲劇に見舞われたドボルザークの、内なる尽きせぬ思いがついにあふれ出るひととき。マエストロの意を懸命に掬い、歌の快感に酔いやすい場面でも激高しなかった」(5月9日、北海道新聞夕刊)

 

2011年4月25日 第538回定期演奏会(Kitara)の『スターバト・マーテル』 エリシュカ(指揮) 撮影:野口隆史

 

エリシュカ

2010年11月23日 札響合唱団などに『スターバト・マーテル』の歌唱を指導するエリシュカ(Kitara) 提供:北海道新聞

 

 3月定期以降は各種演奏会で東日本大震災への義援金を募り、エリシュカが4月の来日を機に託した40万円を含め、12月までに約350万円を日本赤十字社北海道支部へ届けた。被災地の仙台フィルハーモニー管弦楽団への支援金など、他にもいくつかの募金活動を展開した。楽員有志によるチャリティー公演も複数行われた。

 震災が原因で中止になった公演はなかったが、5月定期(第539回、秋山和慶指揮)はトランペットのセルゲイ・ナカリャコフが来日を中止し、出演予定の2曲のうちショスタコーヴィチ『ピアノ協奏曲第1番』のトランペット独奏パートは、首席奏者の福田善亮が担当した。

 

創立50周年 欧州演奏旅行

 

 震災の余波も続く5月、札響は創立50年記念で、2005年の韓国公演以来の海外ツアーに旅立つ。ドイツのミュンヘンとデュッセルドルフ、英国はロンドン、イタリアはミラノとサレルノでの3カ国5公演。指揮は音楽監督の尾高忠明、ヴァイオリン独奏に諏訪内晶子を迎えた。自粛ムードが漂う中での挙行だった。事務局長の宮澤敏夫は「こういう時期に行っていいのかという声はあった。原発事故による放射能汚染の状況が欧州に伝わり、デマも広がっていた。尾高さんとは『こういうときだからこそ行って、日本は大丈夫だと伝えるべきじゃないか』と話していて、中止する気はなかった。最初のドイツに入国できるかを心配したが、結果としてはたいへんな歓迎を受けた」と振り返る。

 

ミュンヘン

2011年5月22日 札響ミュンヘン公演(フィルハーモニー・アム・ガスダイク) 撮影:野口隆史

 

2011年5月23日 札響ロンドン公演(ロイヤルフェスティバル・ホール)
ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番 諏訪内晶子(独奏)尾高忠明(指揮) 撮影:野口隆史

 

50周年記念ヨーロッパ公演の記事 2011年5月27日 北海道新聞夕刊

 

50周年記念ヨーロッパ公演の記事 2011年6月3日 北海道新聞夕刊

 

 公演先からは、震災見舞いのメールがいくつも事務局に届いた。デュッセルドルフ・トーンハレのマイケル・ベッカー館長は「私たちは医者でもなく、政治家でもない。一筋の希望を与えるために音楽家としてできるだけのことをしたい」と記した。ロンドン公演をチャリティーに切り替え、入場料収入の全額を被災地のために寄付した。

 5公演のうち4公演が「乗り打ち」(移動当日の演奏会)という厳しい日程ではあったが、現地の反応は上々。6月定期(第539回)のプログラムに掲載された地元紙の演奏会評を転載しておく。「演奏からあふれる想いに、聴衆はスタンディング・オベーション!」(5月22日ミュンヘン公演に対し。メルキュール紙)「昨秋のロンドン響の名演と同じ土俵にたつ引き締まった演奏!」(5月23日ロンドン公演。ガーディアン紙)「深みのある金管、素晴らしい木管、豊かな弦、ほかに何が必要というのだ!」(5月26日デュッセルドルフ公演。ライン・ポスト紙)

 アンコールは犠牲者鎮魂の意を込め、エルガー『エニグマ変奏曲』より「ニムロッド」を演奏した。ヴァイオリンの小林美和子は、ミュンヘン公演での体験をこう振り返った。「(アンコールが始まると)ホール内の空気が一変、そして鼻をすする音。ふと顔を上げると、目に涙を溜め、ハンカチで目頭を押さえる姿があちこちに。そのとたん、私も我慢していた涙がワッと溢れて譜面が見えなくなり大変だった。あの時の、お客様からいただいた共感力に感謝した気持ちは一生忘れないと思う」

 ツアーに参加したヴァイオリンの石原ゆかりは、震災1カ月前に文化庁の事業で訪問した宮城県石巻市と女川町に思いを馳せ、「疲れてきついときもあったが、一回一回、思いを込めて丁寧に丁寧に演奏した」「距離は遠くても、すべてに感謝しながら弾くことによって何か災害に遭われた方の胸に届けば」と語った(6月6日、北海道新聞夕刊)。

 6月4日には札幌コンサートホールKitaraで帰国記念演奏会を開き、ツアーを締めくくる。ロンドンを除く会場でメインに据えたチャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』などが喝采を浴びた。

 宮澤は「欧州で演奏することは、楽員の意識を変えることにつながる。行くたびにうまくなる。予定されていたツアーだからという以上に、使命感を持って演奏できたことも結果につながっただろう」と話した。

 

〈札響50周年 欧州を巡る〉1〜5 2011年6月6、7、8、10、11日 北海道新聞夕刊

 

〈カルチャープラス〉札響、音紡いで50周年 2011年8月26日 北海道新聞夕刊

 

尾高がベートーヴェン・ツィクルス

 

 9月から12月にかけては、尾高の指揮でベートーヴェンの交響曲全曲演奏に取り組んだ。9月(第541回)は第1、7番、10月(第542回)は第8、3番『英雄』、11月(第543回)は第4、5番『運命』、12月(第544回)は第2、6番『田園』と、『第9』演奏会というラインナップ。札響のベートーヴェン全曲演奏は、1970年のペーター・シュヴァルツ、1989〜91年の山田一雄(第1番のみ矢崎彦太郎が指揮)があり、そして2002年当時、ミュージック・アドヴァイザー兼常任指揮者だった尾高自身の最初のツィクルスに次いで4度目となった。5枚組のCDが2012年5月に発売された。

 

尾高忠明

2011年12月9日 ベートーヴェン・ツィクルス(Kitara)で指揮する尾高忠明 撮影:野口隆史

 

■エリシュカ指揮の『我が祖国』のCDが音楽雑誌『レコード芸術』2月号の「第35回リーダーズ・チョイス~読者が選んだ2010年ベストディスク」で、国内オーケストラとして唯一ベストテンに入った。6月には専務理事が7年間務めた西村善信から小澤正晴に交代した。11月、正指揮者の高関健が第10回斎藤秀雄メモリアル基金賞を受賞した。

 

スターバト・マーテル 北村清彦(北大大学院教授)

2011年5月17日 北海道新聞夕刊「魚眼図」

 

 

音楽のちから 柳澤三枝(札幌・管理栄養士)

2011年7月17日 北海道新聞朝刊「いずみ」

 

 

2012年

正指揮者 高関健が退任

 

 この年は、注目のプログラムが前半に集中した。3月に正指揮者を退任する高関健が、2月定期(第546回)で自身にとっても札響にとっても初演となるメシアンの大曲『トゥーランガリラ交響曲』を取り上げ、有終の美を飾った。5月定期(第549回)ではベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』、7月はKitaraの開館15周年を記念するモーツァルトの演奏会形式オペラ『コジ・ファン・トゥッテ』も指揮する活躍ぶりだった。

 

2012年2月9日 第546回定期演奏会(Kitara)の『トゥーランガリラ交響曲』 高関健(指揮) 撮影:野口隆史

 

2012年2月9日 高関健 撮影:野口隆史

 

2012年7月1日 Kitara主催のモーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』(Kitara) 撮影:Hiroharu Takeda

 

 3月定期(第547回)では、下野竜也がヒンデミットの交響曲『画家マティス』に、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を独奏者のデヤン・ラツィック自身が編曲したピアノ協奏曲第3番などを組み合わせた。

 

ルイジ指揮ブラームスの名演

 

 7月の国際教育音楽祭PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)のホストシティ・オーケストラ演奏会では、ファビオ・ルイジがブラームスの交響曲第4番などを指揮。PMF芸術監督が札響を振るのは、クリストフ・エッシェンバッハ以来18年ぶり。画期的なことであった。指揮者の中村隆夫が「今回の演奏で一番幸せな思いをしたのは聴衆ではなく、自らの音楽を最大限に引き出してもらった楽員たちだったのではないだろうか」(7月23日、北海道新聞夕刊)と評したほど、一体感のある名演となった。

 

PMFルイジ

2012年7月12日 PMFホストシティ・オーケストラ・コンサート(Kitara) ファビオ・ルイジ(指揮)
写真提供:(公財)PMF組織委員会

 

 毎年4月定期への登板が定例となっているエリシュカは、この年(第548回)、いよいよ十八番のドヴォルジャーク作品から交響曲第9番『新世界より』を取り上げた。エリシュカは11月の名曲コンサート、12月の「札響の第9」と3度登場した。

 東日本大震災から1年の3月には、オーボエ副首席の宮城完爾が福島県いわき市出身という縁から、楽員16人が同市内の小中学校での福島復興支援アンサンブルコンサートに出演した。

 韓国大田(テジョン)広域市のテジョン・フィルハーモニック管弦楽団との交流が実現した。2005年の札響韓国公演の際、テジョンで演奏したことが縁となった。2012年4月には札響のホルン奏者4人(市川雅敏、岩佐明彦、菅野猛、島方晴康)がテジョン・フィルの公演に客演し、これに応えて8月に音楽監督のグム・ノサンが来札した。

 

テジョン

2012年4月12日 ホルンの4人が客演したテジョン・フィル公演(Daejeon Culture& Arts Center, Art Hall)

 

岩城宏之 生誕80年メモリアル

 

 9月定期(第552回)は、桂冠指揮者・岩城宏之の生誕80年メモリアルコンサートと銘打ち、小泉和裕指揮でチャイコフスキーの交響曲第5番、ブラームスのヴァイオリン協奏曲(独奏:郷古廉)を演奏した。これは1998年7月の岩城の定期(第404回)と同一演目だった。当日配布のプログラムでは、ホルン首席の橋本敦、ヴィオラの水戸英典、ヴァイオリンの石原ゆかりが、岩城の音楽監督時代を懐かしんだ。橋本は「岩城さんは、お客さんを楽しませることを常に考えていましたね。そして楽員の主体性を強く求めた。身体全体で音楽を表現するように演奏すること、そして、指揮者の指示を待っているのではなく、自分たちで考えて響きを作ってくれ、と」。水戸は「どんな作品でも、ご自分のイメージを豊かに持っていて、その大きな骨格を僕たちに示そうとしたように思います」。石原は「岩城さんは、音楽は生き物だから演奏するたびに違うものになる、と考えていました。でもその一方で、わずかでも楽譜にないことをやろうとすると、絶対に許しませんでしたね」とそれぞれ話した。

 

テジョン

2005年6月19日 札響と最後に共演した第480回定期演奏会(Kitara)の岩城宏之 撮影:佐藤雅英

 

 オーボエ首席の金子亜未が、入団から間もない10月に第10回国際オーボエコンクール・軽井沢(公益財団法人ソニー音楽財団主催)で第2位と奨励賞、軽井沢町長賞(聴衆賞)を受賞した。

 11月、第6回日本プロオーケストラファンクラブ協議会(JOFC)の総会が、事務局のある札幌で開かれ、札響くらぶ(上田文雄会長)を含む参加7団体が課題を報告した。札響ボランティア「ピリッキー」が、ジュニア向け招待コンサートをスタートさせた。

 

■事業部の中川広一は、文化庁の新進芸術家海外研修制度を活用して9月から翌年3月まで英国に滞在し、BBCフィルハーモニック事務局でアートマネジメントを学んだ。チェロ副首席の武田芽衣は、公益財団法人アフィニス文化財団の海外研修員として10月から1年間、ドイツ・ミュンヘンに留学した。

 

企業メセナが支える

 

 企業がスポンサーとなる、いわゆるメセナ事業としての札響演奏会のうち、最も長く続いているのは1973年からの北電とHBCの取り組みだろう。当初は「北電ファミリーコンサート」、のちに「ほくでんファミリーコンサート」として定着したこのシリーズは、親しみやすい曲を取り上げることが多い上、無料で整理券を配布するため、会場が満席となることもしばしばである。

 無料コンサートは必ずしも熱心なファンの育成につながらない、という見方もあるとはいえ、生の演奏に触れる絶好の機会となり、とかく敷居の高さが指摘されるクラシック音楽にとっては功績の方が大きかったといえる。かつては14回開催した年もあり、2021年末までに通算528回を数える(以下、いずれも2021年末現在)。

 このほか、定期的に行われていた冠コンサートを歴史の古い順に列記すれば、「ホクレングリーンコンサート」が1978年から計126回、同じくホクレンが協賛・提供する東京、大阪、名古屋など道外公演が1982年から計45回(1997年から東京のみで定着した)。東京公演については、ホクレン社内で経費節減のため協賛中止も検討されたが、最終的には継続と判断され現在に至るという(2022年3月26日、北海道新聞朝刊)。

 北海道銀行・道銀文化財団がかかわる「道銀ライラックコンサート」などが1990年から計38回。同じく銀行では「北洋銀行Presentsクラシックコンサート」が2012年から始まり、2021年までで21回を数える。札幌市の萬田記念病院も、札響公演への助成を続けている。

 他にも多くの企業主催公演があり、側面から札響の運営を支え、ひいては北海道の文化芸術の底上げに貢献している。

(古家昌伸)

 

2013年

シベリウス・ツィクルス始まる

 

 2011年のベートーヴェンに次いで、札響は同じ尾高忠明の指揮でシベリウスの交響曲全曲演奏に取り組んだ。2013年3月から作曲家の生誕150年に当たる2015年まで、足掛け3年の長期計画となった。2014〜15年に4枚のCDが発売されたのち、創立60周年を迎えた2021年に『シベリウス交響曲全集』の3枚組CDが発売された。初回の3月定期(第557回)は交響詩『フィンランディア』と交響曲第3番、第1番で、東京公演も同じプログラムだった。

 

東京公演

2013年3月5日 シベリウス・プログラムの東京公演(サントリーホール) 尾高忠明(指揮) 撮影:浦野俊之

 

エリシュカのドヴォルジャーク・シリーズ完結

 

 4月からの定期は、音楽監督の尾高忠明以外はすべて外国人指揮者が客演するラインナップになった。

 エリシュカによるドヴォルジャークの交響曲第5番〜9番のシリーズは、4月(第558回)の第8番で完結した。82歳の偉業である。北海道情報大教授の三浦洋は「マエストロと札響の真摯な演奏姿勢と音楽的達成を評するのに、「金字塔」という以外に言葉が見つからない。これが大言壮語でないことは、両者の共演が今後いっそう証明してくれるだろう」(4月26日、北海道新聞夕刊)と評した。エリシュカと札響のドヴォルジャーク・シリーズは2008年の第6番を皮切りとしてすべてライヴ収録され、最後を飾った第8番のCDは11月に発売された。

 東日本大震災に関連しては、日本オーケストラ連盟(東京)の呼び掛けに応じ、被災して統廃合対象になった宮城県内の小中学校20校の校歌を録音し、後世に残す取り組みに協力した。札響は震災1ヶ月前に文化庁の事業で訪問した縁で、女川町の女川第二小学校の校歌を担当し、6月に収録を行った。

 7月は管楽器の首席奏者4人(フルート髙橋聖純、クラリネット三瓶佳紀、トロンボーン山下友輔、オーボエ金子亜未)が、それぞれ独奏を務める特別演奏会「ザ・プリンシパルズ」を行った。同月、PMFのホストシティ・オーケストラ公演では、首席指揮者の準・メルクルと初共演した。

 

髙橋聖純
三瓶佳紀
山下友輔
金子亜未
2013年7月5日 札響首席奏者がソリストを務めた「ザ・プリンシパルズ」(Kitara)
(左上から右へ)髙橋聖純 三瓶佳紀 山下友輔 金子亜未 撮影:若林伸夫

 

 韓国テジョン・フィルとの交流はさらに深まり、8月定期(第561回)では芸術監督グム・ノサンがKitaraの指揮台に初めて立った。メインはマーラーの交響曲第1番。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番では、17歳でロン・ティボー国際コンクールの覇者となったイム・ドンヒョクが独奏を務めた。そして翌2014年9月にはテジョン・フィルの演奏会に尾高が招かれた。日本人として初めて指揮台に立ち、エルガーの交響曲第1番を演奏した。

 

ブリテン『戦争レクイエム』初演

 

 定期演奏会のハイライトは、札響初演となったブリテンの『戦争レクイエム』(9月、第562回)だろう。尾高は三浦洋との事前の対談で、曲に込められたメッセージについて「広島と長崎の原爆投下の日と終戦記念日に限らず、戦争反対を常々唱えるべきです。終曲はとても美しく、平和を感じさせるような深い余韻があります。曲を聴いて、多くの人に戦争はいけないと思っていただけるよう、私たちも全精神を傾けて演奏します」と語った(9月2日、北海道新聞朝刊)。作曲家の八木幸三は「いまだ紛争が絶えず、軍事介入の危険性が続く中で、ブリテンに精通する尾高が、この作品を通して真の平和を希求した意義は大きい」と評した(10月2日、北海道新聞夕刊)。

 

戦争レクイエム

2013年9月21日 第562回定期演奏会(Kitara)のブリテン『戦争レクイエム』 尾高忠明(指揮)

 

 10月定期(第563回)では、エリシュカがドヴォルジャークのチェロ協奏曲とブラームスの交響曲第3番を指揮した。独奏は首席奏者の石川祐支。チェコのドヴォルジャーク協会長でもあったエリシュカとの共演が決まったとき、石川は「天にも昇る気持ちで、ワクワク、ドキドキが止まらなかった」と話す。札響との初顔合わせのとき、マエストロから「君はドヴォルジャークの音を理解している」と言われたが、実現までには8年を要した。練習に臨んでは、エリシュカが理想に掲げるテンポが一般的な演奏より相当遅く、戸惑いもあった。本番は石川が思い描いたやや速めのテンポで演奏。終演後にエリシュカが「合わせるのは大変だったけど、頑張ってついていったよ」と笑顔でハグしてくれたのが忘れられないという。

 2004年から札幌市とKitaraが主催してきた「Kitaraファースト・コンサート」(札幌市内の小学6年生がKitaraで札響の演奏を鑑賞する)は、この年で10周年となった。

 

■12月にホルンの市川雅敏が事務局へ異動し、事務局次長に就任した。

 

2014年

 スイス生まれの名匠マティアス・バーメルトとの初顔合わせはこの年の1月定期(第566回)であった。ハイドン、ブルッフ、モーツァルトというプログラム。およそ15年来、雑誌『音楽の友』に札幌の音楽評を書いている北海道教育大教授の本堂知彦は「オーケストラの演奏会をモーツァルトのセレナードで締めくくるのは、相当な自信と勝算がなければできないことだろう」と書き出し、セレナード第9番『ポストホルン』などの演奏を「ここ数年の定期演奏会で札響が取り上げた古典派のレパートリーとしては、間違いなくトップにランクされるべきものだ」と高く評価した(3月号)。札響との相性の良さに予感めいたものがあったのかもしれない。

 

佐村河内守の代作騒動

 

 2月、日本のクラシック音楽界に激震が走った。前年からメディアで大きく取り上げられていた佐村河内守の交響曲第1番『HIROSHIMA』などが、実は本人作ではなく、作曲家の新垣隆が代作していたことが判明した。30代で聴力を失い、絶対音感を頼りに作曲を続けてきたとし、「現代のベートーヴェン」などともてはやされた人物の失墜。全国ツアーの一環で、4月にKitaraで同曲を演奏する予定だった札響も振り回される結果になった。

 

 同じく2月、岩手県石巻市で行われた被災地支援コンサートに楽員4人を派遣した。

 新年度は定期演奏会の入場料を、2005年以来9年ぶりに値上げした。SS席は500円増しの6,500円、同じく年会費は45,000円に。影響が懸念されたが、定期会員数は2014年度も2,000人台を維持した。

 

伊福部昭、早坂文雄を特集

 

 釧路出身の作曲家伊福部昭(1914〜2006)が生誕100年を迎え、5月定期(第569回)で伊福部を特集した。2日目の31日が、作曲家の誕生日だった。高関健の指揮で『日本狂詩曲』『土俗的三連画』『シンフォニア・タプカーラ』『ヴァイオリン協奏曲第2番』(独奏:加藤知子)を取り上げた。伊福部作品に造詣が深い音楽評論家の片山杜秀は『土俗的三連画』の演奏を「弦楽器の胴を叩くとか、ティンパニを素手で打つとか。コリに凝った無数の細部を高関は丹念に高解像度で鳴らしぬく。そうしてこそ北辺に生きる人々の一挙手一投足までが聞こえてくる、酔っ払いの溜め息さえも。名演」と評した(6月9日、朝日新聞夕刊)。締めの言葉もふるっている。「パリでラヴェルと同じくらい、札幌で伊福部というのはいい」

 この演奏は、キングレコードが1995年から手がけるCDシリーズ「伊福部昭の芸術」にも収められた(10、11集)。

札響は2018年にも『SF交響ファンタジー第1番〈ゴジラ〜宇宙大戦争〉』『北海道讃歌』などをCD化している。

 

高関_伊福部

2014年5月30日 伊福部昭を特集した第569回定期演奏会(Kitara) 高関健(指揮) Kitara

 

 8月定期(第571回)では、同じく生誕100年の早坂文雄(1914〜1955)も特集し、交響的組曲『ユーカラ』を演奏した(下野竜也指揮、全曲演奏は初演)。

 6月定期(第570回)は尾高がヴェルディ『レクイエム』を指揮。創立10年となった札響合唱団が約140人の合唱の主軸を担い、三浦洋は「総体として大きな声量に力があったというばかりでなく、分節して響く声部のそれぞれに気迫がこもる。軸をなした札響合唱団の成熟が感じられたのはいうまでもないが、合唱に加わった歌い手すべてに拍手を送りたい」と高く評価した(7月8日、北海道新聞夕刊)。

 

ヴェルレク

2014年6月27日 第570回定期演奏会(Kitara)のヴェルディ『レクイエム』 尾高忠明(指揮)

 

 このレクイエムを野辺送りの曲とするかのように、札響にとって欠かせない存在だった2人の元事務局長の訃報が届く。7月5日に竹津宜男、7月23日に谷口静司。1961年の創立当時、竹津はホルン奏者として入団。谷口は1962年から事務局長、常務理事などを務めた。竹津は1981年から1990年まで谷口の後任として事務局を預かった。

 2人が札響に関わった1960〜80年代は、札響の〝草創期〟から〝高度成長期〟にかけてであった。北海道新聞OBの前川公美夫は追悼記事で、2人の功績を言い当てた。「指揮者で区分すると、谷口さんは「荒谷正雄―ペーター・シュバルツ―岩城宏之」時代、竹津さんは「岩城宏之―秋山和慶」時代になる」とし、「2人が果たした役割を表す言葉を探すと、谷口さんは「理想に突き進んだ人」、竹津さんは「気配りの人」だろうか。方向性は違うが、2人はそれぞれのやり方で札響の現在をあらしめた」と位置付けた(8月21日、北海道新聞夕刊)。

 

竹津宜男、谷口静司両氏の追悼記事 2014年8月21日 北海道新聞夕刊

 

田島高宏がコンマスに復帰

 

 ドイツ留学のため2004年に退団したコンサートマスターの田島高宏が9月、古巣に復帰。楽員にもファンにも歓迎をもって迎えられた。フライブルク音楽大学を卒業後、北西ドイツ・フィルハーモニー第1コンサートマスターなどドイツ国内でキャリアを重ねてきた。コンマスは伊藤亮太郎、大平まゆみとの3人体制となった。

 

田島高宏がコンマスに復帰 2014年9月10日 北海道新聞夕刊

 

 10月定期(第573回)は、尾高がマーラーの交響曲第9番を振った。音楽監督としての総仕上げ。八木幸三は「尾高は、全身全霊で楽員と共にこの魂のうねりを表出。1楽章から3楽章まで、各楽章に明晰な性格づけをしながら、終楽章へ導いた彼の構築力に心からの拍手をおくろう」(11月6日、北海道新聞夕刊)と振り返った。

 

マーラー9

2014年10月24日 第573回定期演奏会(Kitara)のマーラー交響曲第9番 尾高忠明(指揮)

 

■事務局長は4月に交代、2004年から務めてきた宮澤敏夫が顧問に転じ、事務局次長だった市川雅敏が後任となった。2010年に創設された弦楽四重奏団「Kitaraホールカルテット」は、この年2月が最終公演となった。9月、尾高忠明が北海道文化賞を受賞した。

 

シートの継承 石坂亜矢子(札幌・主婦)

2014年5月5日 北海道新聞朝刊「いずみ」

 

文中「25歳未満」は「U25(25歳以下)」

 

2015年

 この年は、創立50周年の北海道二期会が初めて取り組んだヴェルディのオペラ『アイーダ』(1月18日)への出演で幕を開けた。このときは演奏会形式であったが、のちに札幌文化芸術劇場hitaruのこけら落とし公演の演目ともなり、貴重な経験を積んだことになる。

 

台湾へ〝感恩之旅〟 尾高音楽監督が退任

 

 11年間にわたって音楽監督を務めた尾高忠明は、2月定期(第577回)でのシベリウス・ツィクルスの掉尾を飾る交響曲第5、6、7番と、同月の台湾公演をもって退任、4月には名誉音楽監督に就任した。1981〜86年に正指揮者を務め、いったん札響を離れたのち、1998年からミュージック・アドヴァイザー兼常任指揮者の任についた。

 2002年に直面した経営危機を楽団とともに乗り越え、2004年に音楽監督に就いた。2001年の英国公演、2011年の創立50周年記念欧州公演、そしてこの年3月22日から29日にかけての台湾公演と、札響の7回にわたる海外公演のうち3回を率い、楽団の飛躍への貢献の大きさは計り知れない。

 

〈飛躍の協奏曲 尾高忠明と札響〉1〜5 2015年3月9〜13日 北海道新聞夕刊

 

 2014年のインタビューでは、札響に望むこととして、次のように発言している。「経済基盤がなんと言っても大切。また、このオーケストラがこの先に進むためにはつばぜり合いも必要です。東京のオーケストラがうまいのは、毎月の演奏会で評価されるため必死になっているから。岩城さんは「札響を良くするには、札幌にもうひとつオーケストラをつくるしかない」と言っていました。僕もそう思います」(3月25日、北海道新聞夕刊)。尾高のインタビューは、2015〜16シーズンの定期のプログラムにも、連載「尾高忠明音楽監督の10年」(取材・文:谷口雅春)として掲載された。

 台湾公演は台北、高雄、台中、台南の4都市で計5回演奏した。東日本大震災に際して台湾の人たちから受けた支援への「感恩之旅」を掲げた。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、札幌出身の若手奏者・成田達輝を起用した。オーケストラとの初の演奏旅行を経験する機会になったという。ツアーに同行した音楽ジャーナリストの岩野裕一は「歓呼の声に応えて札響がアンコールで披露したのは、日本統治時代の台湾人作曲家、鄧雨賢(とううけん)の「望春風」(渡辺俊幸編曲)。台湾の人なら誰もが知っているメロディが流れ始めたときの、聴衆の驚きと笑顔といったら! オーケストラが国を超えた友情の使節であることを、心から実感した瞬間だった」と記した(3月31日、北海道新聞夕刊)。

 

台湾学校訪問

2015年3月23日 台湾ツアー中に行った学校訪問(台北・私立静修女子高級中学地下大禮堂)

 

2015年3月28日 台湾公演で指揮する尾高忠明
提供:北海道新聞

 

2015年3月22日 台湾で歓迎を受ける尾高忠明と成田達輝 提供:北海道新聞

 

全道179市町村を訪問

 

 4月16日、札響は創立以来掲げてきた「道内すべての市町村での公演」という目標を果たした。平成の大合併で179となった自治体の〝完結編〟となったのは、後志管内島牧村公演だった。道内各地での公演は、楽員が聴衆の歓迎を肌で感じる機会でもある。2016年に入団したヴァイオリンの飯村真理は、2017年末の積丹公演の思い出をアンケートにこう記した。「街の人が雪かきをしている中、積丹入りして、こんな異常な大雪の日にコンサートなんてしていいんだろうか、と思った。開演してみたら、小さなホールにびっちりお客様がいらしてすごく感謝したし、申し訳なく思ったし、いいコンサートになったと思う」。大雪による移動のトラブルや、楽器運搬担当の奮闘など、札響は北海道の楽団らしいエピソードにも事欠かない。

 

島牧

2015年4月16日 札響島牧公演(島牧村立島牧中学校体育館) 宮川彬良(指揮)

 

 2月から6月にかけて、キタラが設備更新で休館したため、定期演奏会は6月に始まって10月は2回という変則日程で乗り切った。首席指揮者のマックス・ポンマーは、7月定期(第579回)に初登場し、メンデルスゾーンの交響曲第2番『讃歌』、シューマンの交響曲第4番を指揮。この公演は、PMFのプレコンサートにも位置付けられた。ポンマーは1936年、ライプツィヒ生まれ。自ら創立したライプツィヒ・新バッハ合奏団と『ブランデンブルク協奏曲全曲』などの名盤を残したほか、現代音楽にも通じ、幅広いレパートリーを誇る。

 

ポンマー練習

2015年7月7日 第579回定期演奏会のリハーサル(札幌芸術の森アートホール)でのポンマー

 

ドイツの風 ポンマーが吹き込む

 

 札響をたびたび訪れる音楽評論家の東条碩夫は7月定期を聴いて「おそらくポンマーは、この日に演奏したようなドイツ・ロマン派の作品をはじめ、バッハ、ベートーベンなどから近代にいたるドイツ・オーストリア系のレパートリーで、最大の強みを発揮していくだろう。「良き時代」のドイツのオーケストラを思い出させるその演奏スタイルは、わが国の数あるオーケストラの中でも、独自の個性として話題を集めることになるだろう」(7月16日、北海道新聞夕刊)と予見した。ポンマーはこの年、ブルックナーの交響曲第4番『ロマンティック』をメインに据えた12月定期(第584回)と「札響の第9」に出演した。

 9月には、第1回定期演奏会で荒谷正雄が指揮したベートーヴェンの交響曲第1番など草創期の演奏会音源がCD化された(タワーレコード)。指揮は他に近衛秀麿、ペーター・シュヴァルツ、朝比奈隆。このうち1970年の第91回定期では、マルタ・アルゲリッチのプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番が聴けるなど貴重なシリーズとなった。

 

〈札響〉創成期の音源CDに 2015年9月14日 北海道新聞夕刊

 

■6月、専務理事が小沢正晴から永井健に交代した。

 

プログラムの表紙を飾る

 

 オーケストラの定期演奏会で配られるプログラムの表紙を、2015〜16のシーズンは道内美術館が収蔵する絵画が飾った。4月は札幌出身の画家・三岸好太郎の代表作のひとつ『オーケストラ』のスケッチ(1933年)。その後は片岡球子、井桁雅臣、国松登、三岸好太郎、松島蘇順泉、久保守、渡會純价と続き、最後も三岸好太郎で締めくくられた。

 以来、2021〜22シーズンに至るまで7年にわたり、絵画、彫刻、ガラス工芸など、傑作の数々が、開演を待つ来場者の目を楽しませている。2017年6月の第600回記念定期では、2022年7月で99歳を迎えた札幌の書家・中野北溟が1996年に制作し、札響の創立35周年に寄せた「札響」の書が、プログラムの表紙になるとともにKitaraのホワイエにも展示された。

 表紙に掲載する作品は、札幌の北海道立近代美術館、北海道立三岸好太郎美術館、札幌芸術の森美術館、本郷新記念札幌彫刻美術館の学芸員が選定し図版を提供、解説も分担して執筆している。

 初年度2015〜16シーズンから5年間、このシリーズの窓口を務めた道立近代美術館の佐藤幸宏(学芸部長、学芸副館長)は「僕が道立文学館から近美に戻った年で、すでに札響と美術館の連携の一環でスタートすることが決まっていた。会場に訪れた人が、演奏を前に絵や彫刻を見て気分を高めてもらえればと考えて作品を選んでいた」と話す。定期の年間テーマが設定されるようになってからは、それも意識するよう心がけた。札響のプログラムを見て作品を鑑賞したくなり、来館した人もいたという。佐藤自身がクラシック音楽のファンだけに「楽しい仕事でした。いまは持ち回りだと思いますが、当時は近美の担当分はほぼ自分で書いていました」と懐かしんだ。

(古家昌伸)

 

2016年

 韓国のテジョン・フィルとの交流は続き、1月、コンサートマスターの相互派遣を行った。田島高宏がテジョンの3公演に出演、Kitaraでの札響定期(第585回)などにテジョンのコンサートマスター、ピル・キュン・ポール・キムが出演した。このころ、テジョン・フィルから指揮者探しの問い合わせが事務局にあり、のちに首席指揮者となるバーメルトを推薦したところ、2017年からテジョン・フィルの首席客演指揮者に就任することになった。

 

外国人指揮者活躍の一年

 

 この年の定期は、1月がバーメルト、2、5、9月がポンマー、3月はエリシュカ、4月はドミトリー・キタエンコ、8月はハンス・グラーフ、10月に再びエリシュカと、外国人指揮者の来演が集中した。

 同じ2月には2015年度の演奏とCD発売などの一連の活動で、ミュージック・ペンクラブ音楽賞オペラ・クラシック音楽部門賞を受賞した。ちなみに2017年度には、札響とエリシュカの演奏やライヴ収録CD発売などの取り組みが特別賞を受賞している。エリシュカは「札響と育んできた国境を超えた友情に対する賞として、オーケストラ全員とハイタッチをしたい!」と喜びのメッセージを事務局に寄せた(2018年4月、第608回定期プログラム)。

 

熱狂 エリシュカ東京公演

 

 そのエリシュカは、札響定期などのCDがファンに好評で、2016年3月の東京公演は熱狂的なファンに迎えられた。公演を控えたインタビューでは「チェコの友人に何も言わずに札響とのCDを聴かせ、その後に『これは日本の楽団との演奏だ』と明かしても、『チェコの楽団だろう』と言って信じてくれない(笑)」「札響と東京に行くのは特別なこと。『札響と僕だよ』と、皆さんに紹介できる機会をつくってくれたことに感謝しています」などと話した(3月3日、北海道新聞夕刊)。

 

エリシュカ東京

2016年3月8日 ラドミル・エリシュカ指揮の東京公演(サントリーホール) 撮影:浦野俊之

 

エリシュカ東京

2016年3月8日 東京公演(サントリーホール)でのエリシュカ 撮影:浦野俊之

 

 余談ながら、エリシュカはこれに続け、若々しさの秘訣を問われ「元気なのは、妻が厳しく健康管理してくれることと、敬虔なクリスチャンとして感謝しながら日常を送っているためでしょう。音楽への愛情も欠かせません。日本という国を愛し、札幌に来るのを楽しみにしていることも健康につながっています」と述べている。楽員もファンも、このおおらかな性格、奥さん想いの人柄に魅力を感じるのだろう。

 サントリーホール公演に話を戻せば、『音楽の友』5月号のレヴューでは「今年85歳となるエリシュカは、言葉の最良の意味で古き良きカペルマイスター(楽長)タイプだ」「克明な造形が、スメタナ《我が祖国》〜〈シャールカ〉では自然なパトスを生み出し、ドヴォルジャーク「弦楽セレナード」ではピュアでみずみずしい表情に満ちた演奏をつくっていた」(岩下眞好)と評された。全国紙でも音楽学者の岡田暁生が「必ずしもパワフルなオーケストラとは言えないが、このアットホームなアンサンブルはそれを補ってあまりある」「それを引き出しているのがエリシュカであることは想像に難くないが、辣腕トレーナーが鍛えぬいた際に生じがちな独裁の硬直が、ここには一切ない。誰に言われることなくメンバー全員が、自分の音を大事にし、そして互いの音を大事にしているのがわかる。それが素晴らしい」と最大級の賛辞を送った(3月28日、朝日新聞夕刊)。楽員の印象も同様だ。チェロの荒木均はアンケートに「チャイコフスキー4番の最終楽章で札響が見せた猛烈な〝鳴り〟は忘れられません」とつづった。

 4月からの新体制で、指揮者として佐藤俊太郎、垣内悠希を迎えた。それぞれ40代、30代での起用だった。佐藤は仙台出身。1988年に初共演している。垣内は東京出身で、2015年に初共演。ともにKitaraファースト・コンサートや道内各地での公演に頻繁に登場し、札響の看板となった。六花亭製菓(帯広、2022年4月に六花亭へ社名変更)と共催で、2017年に立ち上げた室内オーケストラシリーズ「札幌交響楽団inふきのとうホール」の指揮も担当した。

 

創立55周年で荒谷正雄顕彰

 

 9月は創立55周年記念事業の一環で、名誉創立指揮者・荒谷正雄のメモリアルレリーフが公開された。作者は札幌の彫刻家・小野寺紀子。この月の定期(第593回)を荒谷正雄メモリアルコンサートと位置づけた。荒谷は1914年、函館市生まれ。戦後まもなく札幌音楽院を設立し、1961年7月1日に創設された札幌市民交響楽団(のちの札響)の初代常任指揮者を務めた。1996年没。『札響50年史』では、第1回定期演奏会の「札響だより」からの引用で「全市民の一人一人から愛される、また異色ある北国の文化を誇示するオーケストラとして、あくまでも真摯な気持ちで臨みたいと思います」との荒谷の言葉が伝えられている。荒谷については、7月定期(第591回)のプログラムでも、前川公美夫が特集「札響、その荒谷正雄時代」としてその業績を振り返った。

 

荒谷正雄

荒谷正雄

 

 9月定期(第593回)ではポンマーがモーツァルトの『レクイエム』を取り上げた。エリシュカは、10月定期(第594回)ではチャイコフスキーの後期3大交響曲シリーズの大団円として第5番を演奏。11月(第595回)はワーグナー指揮者として知られる飯守泰次郎が楽劇『ニーベルングの指環』の抜粋を披露した。

 

モツレク

2016年9月17日 第593回定期演奏会(Kitara)のモーツァルト『レクイエム』 マックス・ポンマー(指揮)

 

■3月、札幌大谷大学との間で、音楽芸術の振興に関する連携協力協定を結んだ。北海道教育大学に次いで2例目。
 

2017年

「相思相愛」の人々

 

 札響の歴史のなかで「相思相愛」と言えば、近年では岩城宏之が正指揮者・音楽監督を務めた1970年代半ばから80年代後半、尾高忠明が常任指揮者・音楽監督として率いた1990年代半ばから任を離れた2015年までの関係が思い浮かぶ。さらに2006年に初顔合わせをしたラドミル・エリシュカとの11年にわたる蜜月ぶりは、札響ファンのみならず、全国のクラシック愛好者が注目し、羨むような特別な関係になった。この年10月が最後の来日公演となったチェコのマエストロについては後述しよう。4月からは、これまでもたびたび客演してきた広上淳一が「友情客演指揮者」に就任し、札響との良好な関係を印象づけた。

 5月には、札響のもうひとつの「相思相愛」の相手である作曲家の武満徹に関し、大きなニュースがあった。AIR-G’(エフエム北海道)が1982年の開局当時に収録した、岩城指揮の「武満徹世界初演曲 札響特別演奏会」の音源が2016年に局内で〝発見〟され、開局35周年を記念して一部を放送した(28日)。特別演奏会は1982年6月27日、札幌市民会館。音楽監督の岩城宏之が指揮し、武満の『ア・ウェイ・アローンⅡ』(弦楽オーケストラのための)、『海へⅡ』(アルト・フルート、ハープ、弦楽オーケストラのための)、『夢の時』(オーケストラのための)を演奏した。アルト・フルートは小泉浩、ハープは篠崎史子。2曲目までを前半として、後半の前に約50分にわたる武満の講演をはさんだ。この貴重な音源は2021年7月7日、武満の肉声とともにドイツ・グラモフォンから世界発売された。整理の対象になりかかっていた音源が世に出て、世界の武満徹ファンに届けることができたのは、自身が担当するAIR-G’の音楽番組「朝クラ!」などで札響を力強く応援してきたアナウンサー高山秀毅の尽力による。

 

高山秀毅

高山秀毅

 

武満徹、世界の・札幌の

『武満徹、世界の・札幌の』(MEI編、インスクリプト)

 

 それにしても主に政財界向けの記事を扱っていた総合誌「月刊ろんだん」が、この演奏会を企画・運営したことは、1980年代札幌の文化的状況にあらためて目を向けさせる契機となった。2022年3月には、武満のこの講演を活字化した上で、演奏会実現の背景に迫った『武満徹、世界の・札幌の』(MEI編、インスクリプト刊)が刊行された。3月29日には出版を記念し、本書を執筆した写真家・映像人類学者の港千尋、音楽・文芸批評家の小沼純一と、札幌から上田文雄・ACF札幌芸術・文化フォーラム代表(前札幌市長、札響くらぶ会長)と高山が出席するクロストーク「札幌の武満徹 世界とローカルの調和へ」(同フォーラム主催)が札幌のカナモトホールで開かれた。武満と札響・札幌の強い縁を振り返りつつ、ひいては文化のグローバリズムとローカリズムのあり方を問い直す興味深い試みであった。

 高山は「グラモフォンのCDとこの本の内容をさらに広め、武満ファン、札響ファンのどちらにも『武満&札響』の関係を浸透していきたい。札響やPMFを中心とする札幌のクラシック音楽の魅力を若い世代にも伝えたい」と意気込んでいる。

 2月に開催された2017冬季アジア札幌大会の開会式に出演し、バーンスタインの『キャンディード』序曲、シベリウスの『アンダンテ・フェスティーヴォ』を演奏した。指揮は垣内悠希。

 3月には、2016年に発売されたポンマー指揮札響の『シューマン:交響曲第4番/J.シュトラウスII:皇帝円舞曲/R.シュトラウス:ツァラトゥストラはかく語りき』が、全日本CDショップ店員組合による「第9回CDショップ大賞2017」クラシック後期推薦盤に選ばれた。

 4月は、1年前に発生した熊本地震の「復興記念演奏会」(熊本県立劇場)に、日本オーケストラ連盟加盟団体による特別編成の合同オーケストラが参加し、札響楽員3人も出演した。

 

600回定期でモーツァルト

 

 定期演奏会に目を向けよう。ポンマーは首席指揮者就任から丸2年を控えた1月(第596回)に、満を持してバッハの『管弦楽組曲』全曲を取り上げる。公演前のインタビューで「クラシックはバッハやハイドン、モーツァルトが根底にある。音楽の中で一番美しいものがバッハとモーツァルトなのです」と答えている(1月19日、北海道新聞夕刊)。バッハはこの年12月(第605回)に『クリスマス・オラトリオ』の抜粋、2019年10月(第623回)は大曲『ヨハネ受難曲』にも取り組んでいる。それらに先立つ第600回記念演奏会(2017年6月)では、モーツァルトの交響曲の頂点に位置付けられる後期3大交響曲を据えた。いずれも西洋音楽の王道と言えるプログラムだった。600回定期を受けて行われた八木幸三と三浦洋の対談では、このプログラムを、ドイツの正統派指揮者が導いた札響の「原点回帰」であると言い表した(6月16日、北海道新聞夕刊)。

 

2017年1月28日 第596回定期演奏会(Kitara)のバッハ『管弦楽組曲』 マックス・ポンマー(指揮)

 

 ユベール・スダーン指揮による8月定期(第602回)は、モーツァルトの『協奏交響曲』(変ホ長調、K.297b)で、オーボエ関美矢子、クラリネット三瓶佳紀、ファゴット坂口聡、ホルン山田圭祐の首席4人がソリストを務めた。

 

協奏交響曲

2017年8月26日 第602回定期演奏会(Kitara)の『協奏交響曲』 ユベール・スダーン(指揮)
(左から)オーボエ:関美矢子 クラリネット:三瓶佳紀 ファゴット:坂口聡 ホルン:山田圭祐

 

 9月はhitaruの開館プレイベントとして演奏会が行われた。翌2018年のこけら落としで『アイーダ』を指揮することが決まっているイタリア・ヴェローナ出身の若き俊英アンドレア・バッティストーニとの顔合わせの機会となった。

 

エリシュカ最後の日本公演

 

 エリシュカとの共演は、この年が終幕となった。ドクター・ストップを振り切って最後の来日公演を敢行。フェアウェル・コンサートと位置づけられた10月定期(第604回)は、マエストロのたっての希望により、メインの演目を当初予定のベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』から、初共演と同じリムスキー=コルサコフの交響組曲『シェエラザード』に変更した。ふだん札響を聴けない道外のファンからも注目を浴び、「エリシュカ現象」はクラシック界の事件となった。本堂知彦は「エリシュカならではの自在に呼吸するような音楽は、まさにこれまでの札響との深い信頼に裏打ちされた成果の賜であった。終演後の喝采は延々と続き、誠実に応えるエリシュカの姿からは、札響に寄せる深い思いが感じられた。札響に一時代を築いたマエストロには、ただ感謝を捧げるのみである」と記した(『音楽の友』12月号)。

 エリシュカ自身は公演を終え、札響との時間についてこう語っている。「日本のオーケストラは技術的に優れています。私が努力したのは音楽の本質をどう伝え、理解してもらうかでした。ドイツ、オーストリア、チェコと作曲家は国ごとに音楽的な「血」というものがあり、それを札響の技術に付け加えました。自分が弾くだけでなく、他の人の演奏を聴きなさいとも言いました。全体のバランスがどれほど重要か。そして、単に表面をなぞるだけでなく、内部から湧き出て来るものを求めました」(11月4日、北海道新聞夕刊)。十八番のチェコ音楽の紹介はもちろん、札響のレパートリーになかった楽曲を取り上げた功績も大きい。2006年から2017年までの客演で、通算42公演を振った。

 

■1月に情報発信のツールとして、ツイッターの運用を始めた。4月には、東京都交響楽団(都響)と連携する相互協力協定を結んだ。

 

札幌交響楽団inふきのとうホール

 

 ふきのとうホールは、六花亭製菓(現六花亭)が2015年にJR札幌駅間近の中央区内に開設した小ホール(221席)。札響は2017年、新たな試みとして室内オーケストラシリーズ「札幌交響楽団inふきのとうホール」をスタートさせた。

 Vol.1は4月5日、垣内悠希指揮でR.シュトラウス『13管楽器のための組曲』と、モーツァルト『グラン・パルティータ』(セレナード第10番)。以降は佐藤俊太郎指揮となり、Vol.2は2018年2月14日。ワーグナー『ジークフリート牧歌』、シェーンベルク『室内交響曲第1番』など。Vol.3はニューイヤーコンサートとして、2019年1月8日に開催。ドビュッシー『牧神の午後への前奏曲』、マーラーの交響曲第10番から「アダージョ」、J.シュトラウスのワルツなど。このように、フル編成のオーケストラとも、少人数の室内楽曲ともひと味違うプログラミングで熱心なファンを楽しませた。

 だが、その後は新型コロナ禍に翻弄される。2020年3月25日に予定していたVol.4(モーツァルトの交響曲第40番、シェーンベルク『浄夜』)はいったん8月に延期したものの、結果的には中止。2022年2月5日に予定していた公演(ハイドンの交響曲第6番『朝』、第7番『昼』、第8番『夜』)も、指揮者をバーメルトからスダーンに変更しての開催を目指したが、新型コロナウイルス変異株の急速な流行に伴い中止を余儀なくされた。

(古家昌伸)

 

2018年

 1〜3月は、プログラムに特徴がある演奏会が相次いだ。ポンマーによる1月定期(第606回)は、ラウタヴァーラの『鳥と管弦楽のための協奏曲「極北の歌」』を取り上げた。2016年2月定期(第586回)に次いで、フィンランドを代表する現代作曲家を紹介したのは大きな功績であろう。

 2月(第607回)は尾高忠明指揮で、定期では12年ぶりに武満徹を特集した。『弦楽のためのレクイエム』『「系図」―若い人たちのための音楽詩―』など5曲が演奏された。

 3月は「〝伊福部昭トリビュート〟春の音楽祭 イン キタラ」に出演し、『SF交響ファンタジー第1番〈ゴジラ〜宇宙大戦争〉』『シンフォニア・タプカーラ』などを演奏した。指揮は作曲家の弟子に当たる藤田崇文(帯広出身)。

 

バーメルト新体制スタート

 

 首席指揮者を3年間務めたポンマーの後、札響はスイス出身のマティアス・バーメルトに舵を委ねた。首席就任のお披露目公演となった4月定期(第608回)では、オーケストラの〝性能〟を誇示するかのような大編成のR.シュトラウス『アルプス交響曲』を据えた。地元テレビ局のHTBが特別番組『札幌交響楽団 アルプス交響曲』を制作し、年末に放送するなど新体制への期待の高さを裏づけた。2019年3月には続編『札幌交響楽団 喝采』も放送された。

 

マティアス・バーメルト 撮影:Y. Fujii

 

アルペン

2018年4月24日 『アルプス交響曲』練習風景(札幌芸術の森アートホール) マティアス・バーメルト(指揮)

 

アルペン本番

2018年4月27日 第608回定期演奏会(Kitara)のR.シュトラウス『アルプス交響曲』 マティアス・バーメルト(指揮)
撮影:Y. Fujii

 

 バーメルトは母国スイスと、ドイツ、フランスで音楽を学び、作曲をブーレーズ、シュトックハウゼンに師事。オーボエ首席奏者としてザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団に所属したのち、指揮者に転向した。ジョージ・セル、レオポルド・ストコフスキーの薫陶を受け、ロリン・マゼール音楽監督時代のクリーヴランド管弦楽団正指揮者としても活躍した。スイス、英国、オーストラリア、マレーシア、スコットランド、ニュージーランド、韓国など多くの国のオーケストラで音楽監督や首席客演指揮者などを務めた。1992〜98年には、スイスのルツェルン音楽祭でも監督の任にあった。演奏会や録音の企画に定評があり、2015年にシャンドスからリリースされた24枚組の「モーツァルトの同時代の作曲家」シリーズ(Contemporaries of Mozart)などが高く評価されている。

 

胆振東部地震で名曲中止に

 

 2018年9月6日未明、北海道胆振東部地震が発生した。マグニチュード 6.7、最大震度7(胆振管内厚真町)で、40人以上が犠牲になった。加えて全道が闇に包まれたブラックアウトは、道民に衝撃と恐怖を与えた。2日後には、鈴木秀美の指揮で名曲コンサートが予定されており、この日はリハーサルが組まれていた。ヴァイオリン多賀万純の記憶は鮮明だ。「公共交通機関がストップしており大変困った。事務局に電話してご近所の楽団員さんの連絡先を聞き、札幌市外からリハーサル会場まで信号も動かないなか車に乗せてもらって何とか出勤できた」。苦労してたどりつくも会場のKitaraが急遽閉館となり、リハーサル途中で中止が決まった。翌年9月に「今度こそ!鈴木秀美」を冠して開催された。

 9月定期(第612回)は予定通り行われ、バーメルトが細川俊夫『冥想~3月11日の津波の犠牲者に捧げる』、フォーレ『レクイエム』などを指揮した。東日本大震災後の『スターバト・マーテル』同様、前年に決まっていたプログラムが期せずして鎮魂の意味合いを持つ公演となった。9月定期と10月の名曲シリーズの会場で、被災地への義援金を募り、約46万円を日本赤十字社道支部に届けた。コンサートマスターの大平まゆみは安平町、厚真町、むかわ町を4回訪問し、被災者の心を温かく包むように音楽を届けた。

 

hitaruこけら落とし公演『アイーダ』

 

 2018年の道内音楽界最大のニュースは、10月の札幌文化芸術劇場hitaru(座席数2302席)の開館であった。1997年開館のKitaraに次ぐ創造拠点への音楽ファンの関心は高く、札響がピットに入ったこけら落としのヴェルディ『アイーダ』は2日間とも即完売。熱演を導いたバッティストーニとの共演は、近年オペラ演奏の機会が限られていた札響にとってもまたとない収穫となった。オーボエ首席の関美矢子は、バッティストーニの存在感に圧倒され「ものすごい熱量で毎日朝から夜までリハーサルをして、人間離れしているというか、時に悪魔さえ味方につけていそうなエネルギーの渦を感じました」と述べた。楽員アンケートでも、バッティストーニの指揮に驚嘆する声は多かった。

 

アイーダ練習

2018年9月27日 アンドレア・バッティストーニ指揮『アイーダ』練習風景(hitaru) 提供:札幌文化芸術劇場hitaru

 

アイーダ

2018年10月7日 アンドレア・バッティストーニ指揮『アイーダ』第2幕より(hitaru) 提供:札幌文化芸術劇場hitaru
撮影:武田博治

 

アイーダ

〈札幌市民交流プラザ〉オペラ『アイーダ』を見て 2018年10月15日 北海道新聞夕刊

 

 東条碩夫は、音楽会評の中でhitaru開館に祝意を述べつつ次のように指摘した。

 「「ヒタル」が、北海道の音楽文化、とくに舞台芸術の分野で持つべき使命には、極めて大きなものがあるだろう。今後は、道外から多くの名歌手を招聘してオペラを上演するのも結構だが、それとは別に、地元のオペラ運動を積極的に支援し、育成しなければならない。/いっぽう、地元の既存のオペラ団体にしても、時には結集して優れたオペラ上演を実現すべく、協力しあうべきではなかろうか(「ひろしまオペラルネッサンス」にその好例がある)。地元のオペラが育たなければ、北海道のオペラ界は、単なる植民地のような存在にとどまってしまう」(10月15日、北海道新聞夕刊)

 開館前日の7日の記念式典では、札響がファンファーレなどを披露。前年6月には、名誉音楽監督の尾高忠明がhitaruの芸術アドヴァイザーに就いている。11月には、新国立劇場バレエ団による『白鳥の湖』にも出演した。

 

■3月に入団したトランペット副首席の鶴田麻記は8月に第16回「東京音楽コンクール」金管部門3位、10月の「第87回日本音楽コンクール」トランペット部門で2位に入賞した。ホルン首席の山田圭祐は、文化庁新進芸術家海外研修生として9月から1年間、ドイツ・ミュンヘンに滞在した。6月に専務理事が永井健から鳥居和比徒に交代した。

 

2019年

 1月定期(第615回)はバーメルト指揮。モーツァルト『セレナータ・ノットゥルナ』、マルタン『七つの管楽器、打楽器、弦楽のための協奏曲』で首席奏者が活躍した。

 オペラは3月にhitaruで開かれた北海道二期会のヴェルディ『椿姫』に出演、翌2020年1月にはビゼー『カルメン』など、着々と経験を積んでいる。

 

定期に年間テーマ

 

 4月からの定期ではバーメルトが独自性を発揮した。年間テーマを「What composers do to other composers…(作曲家が作曲家に出会うとき…何を感じ、何を与えたのだろう)」とし、他の作曲家からモチーフを得たり、インスピレーションを感じた作品を、客演の指揮者も含めてプログラムに盛り込んだりする趣向である。企画を発表した2018年10月定期(第613回)のプログラムには、彼の意図として「変奏、再生、引用、補完、畏敬/偉大な才能は、異なる才能と出会い再発見されることとなる、そして再構築や再編成を経て、新たな音楽へと発展していくのだろう。/そこにあるのは、尊敬の念、創造への力となる出あいの喜びに違いない」と記された。さらに「この1年間のプログラムを通じ、みなさまには、ひとつのテーマを追い続けるプロジェクトに参加したように感じていただき、音楽的体験としてみなさまの心に深く残るようであってほしいと願っています」と狙いを解説した。これまでの年間定期プログラムにはなかった試みで、2022〜23シーズンに至るまで4季連続で継続されている。テーマは順に「Fairy Tale〜おとぎ話」「愛と死」「水」。

 この年の定期では、クシシュトフ・ウルバンスキがストラヴィンスキーの『春の祭典』を振った3月(第617回)、オーボエの名手ハインツ・ホリガーが指揮、独奏と自作曲の披露と八面六臂の活躍を見せた9月(第622回)、川瀬賢太郎が定期初登場でムソルグスキーの交響詩『はげ山の一夜』(原典版)や組曲『展覧会の絵』(ストコフスキー版)というひねったプログラムを組んだ11月(第624回)、広上淳一がマーラーの交響曲第10番(クック版)に挑んだ12月(第625回)などが注目された。

 

 異色のコラボレーションにも触れておきたい。なかいれい(札幌)の絵、けーたろう(石狩)の文による絵本シリーズ「おばけのマール」に札響が登場した『おばけのマールとたのしいオーケストラ』(中西出版)が2月に刊行された。4月にはKitaraと共同で、クラシックの演奏会に誘うガイドブック「演奏会の楽しみ方」を制作。札幌在住のいくえみ綾による人気漫画『G線上のあなたと私』の絵が表紙を飾った。

 

マールG線

『おばけのマールとたのしいオーケストラ』とガイドブック「演奏会の楽しみ方」

 

 30回の節目となったPMFでは、PMFオーケストラの演奏会に、札響で活動するアカデミー修了生が参加した。

 

ラドミル・エリシュカ死去

 

 9月、エリシュカが88歳で没した。札響との42回の共演から、実にCD14タイトルが生まれた。朝日新聞編集委員の吉田純子は、こんなエリシュカの言葉を紹介して追悼した(10月26日、朝日新聞夕刊)。「いつか札響にもっと良い指揮者が現れ、『エリシュカなんかよりずっといい』と喜んで迎えられる日の来ることが、今の私の心からの望みです」「日本の人々に出会えて、私の人生は最後に本当に豊かなものになった。愛してくれてありがとう」

 

 胆振東部地震の発生から1年となる同月、初めて被災地の厚真町を訪問した。

 

コンサートマスター大平まゆみ退団

 

 晩秋、楽団にもファンにも極めてショッキングなニュースがあった。コンサートマスターの大平まゆみが、難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断されたことを記者会見で明らかにし、11月いっぱいで退団した。「バイオリンは、できるところまでやりたい。ALSを知ってもらい、患者さんたちと寄り添えないかも考えたい。(札響は)私を成長させてくれ、感謝の気持ちしかない。これからも道民に愛される存在であってほしい」とコメントした(11月22日、北海道新聞朝刊)。21年以上にわたってコンサートマスターの重責を担っただけでなく、常に率先して福祉施設や災害の被災地を回り、人の心にしみ入る旋律を奏で続けてきた。

 大平は退団後も来演を待つ人々のもとを訪れ、体調の許す限り演奏活動を継続してきた。また、あらかじめ録音しておいた自分の声を合成し、文章を音声に変換するソフト「ボイスター」を開発したヒューマンテクシステム(東京)、NPO法人iCareほっかいどう(札幌)、番組の企画を通じてエールを送るAIR-G’の高山秀毅らの協力を得て、ラジオ番組にも出演。AIR-G’の「朝クラ!」では「大平まゆみのFrom my heart」のコーナーを設け、そのアーカイヴはポッドキャストでも発信している。闘病生活を続けながらの活動にエールを送る人は多い。

 

札響大平さん ALS公表 2019年11月21日 北海道新聞朝刊

 

声失っても地域FMで発信 元札響コンマス大平さん 2022年2月23日 北海道新聞朝刊

 

できる限り弾き続けたい 退団会見 反響に戸惑い/毎日が発見 感動と感謝
大平まゆみ(バイオリニスト) 2020年1月27日 北海道新聞夕刊

 

■6月、理事長が村田正敏から広瀬兼三に交代した。

 

指揮者体制に知恵絞る

 

 近年の指揮者体制をおさらいしてみよう。2015年3月、常任指揮者と音楽監督を通算17年務めた尾高忠明が退任(67歳)。その後任は1936年生まれのマックス・ポンマー(79歳)で、首席指揮者を3年間務めた。2018年4月からは42年生まれのマティアス・バーメルトが首席となり(75歳)、2022年4月で丸4年となる。

 70代は指揮者としては「超高齢」とまでは言えないが、2015年に名誉指揮者となったラドミル・エリシュカ(84歳)を交えれば「大ベテラン揃い」という印象が強かっただろう。東条碩夫はポンマーの首席指揮者就任のころ、2015〜16シーズン定期の指揮者の平均年齢が比較的高いことに触れた。若手世代の客演を待望し「ポンマーやエリシュカら「老巨匠たち」がつくる滋味あふれる音楽とうまくバランスを取っていけば、さらに良い結果を生むと思われる」と記した(7月16日、北海道新聞夕刊)。

 

ポンマーバーメルトエリシュカ

(左から)
マックス・ポンマー 撮影:Y. Fujii
マティアス・バーメルト 撮影:Y. Fujii
ラドミル・エリシュカ 撮影:佐藤雅英

 

 東条の提言を待つまでもなく、札響は2016年、若手の佐藤俊太郎、垣内悠希を指揮者に迎えていたし、2019年4月には、2人に代わり20代の松本宗利音(しゅうりひと)を起用した。そして2021年秋、1984年生まれの川瀬賢太郎が2022年4月から正指揮者になることが発表された(松本は3月で退任)。正指揮者のポストは、2012年に退任した高関健以来10年ぶり。松本は任期満了の2022年3月まで、第8回hitaru定期(2022年2月)、名曲シリーズなどで溌溂とした指揮ぶりを披露した。

 

(左から)
松本宗利音
川瀬賢太郎 撮影:Yoshinori Kurosawa
(古家昌伸)

 

エリシュカ氏のこと 梶吉久美子(オフィスブロウチェク代表)

 

 2017年5月26日の早朝、エリシュカ氏の息子さんからメールを受け取りました。「父から君への手紙を預かったので添付します。とても長いけれど…最後まで読んで欲しい…」その一文で添付を読まずとも内容がわかり全身の血が引きました。ついにこの日が来たのかと。

 思えば初来日の2004年エリシュカ氏はすでに75歳。空港での見送りの際に、また元気で会える日は来るのだろうか?と大きな不安を抱えたものです。

 マネージャーとして毎回来日から離日まで終日おつきあいさせて頂きましたが、私の心配をよそにエリシュカ氏は毎年エネルギッシュに音楽に向き合い、ますます日本を愛し札幌を第二の故郷と呼びました。札幌到着時にはいつも奥様と共に深呼吸をし「ああ、帰って来た!」と呟く姿が目に焼きついています。ホテルでのゆったりとした朝食時間、オフの日の長い散歩、リハーサルへの移動や休憩時間に新しいものを目にすれば少年の様に興奮し、奥様とはいつも仲睦まじく、自然を愛でジョークが大好きで、そして音楽のこととなれば情熱にかられて話は止まらず…長いおつきあいの中で些細な誤解からカミナリを落とされたこともありますが、誤解が解ければすぐに非を認めて謝ってくださったことも含め本当に人間味に溢れたマエストロでした。この様な日々はまだまだ続くと願っておりましたが。

 予感通り手紙の中でエリシュカ氏は長い渡航にドクターストップがかかったことを知らせて来ました。そして日本への思い、とりわけ札幌交響楽団への思いが長く熱く綴られており「しかしこのままお別れはあまりに悲しい。医師に逆らっても10月の公演には出演します。日本の皆さん札幌の皆さんにきちんとお別れをしたい。そしてお願いがあるのだが…札響のプログラムをベートーベンからシェエラザードに変更できないだろうか? 札響との出会いの思い出深いこの作品でお別れしたい」と。

 10月のあの日、2日目のシェエラザードが終わり楽屋の椅子に崩れ落ちたエリシュカ氏の「もう終わりなのか? もうこれで終わりなのか!」と慟哭する姿は未だに忘れることができません。そして再びステージに呼び戻されての長い長いカーテンコールの間に心が落ち着き観客の皆様に改めて感謝とお別れを告げていたと思います。この思い出深いコンサートのブルーレイご製作に感謝申し上げます。残念ながらエリシュカ氏は見ることが出来ません。ご存知のように 2019年の9月1日に天国に旅立たれました。そしてエリシュカ氏の招聘を決断し多く札響とのライブ CD を製作した夫、梶吉祥一郎も翌年同じ日に他界いたしました。しかし彼方の世界で2人とも喜びあっていると信じております。

――ザ・フェアウェル・コンサート・イン・札幌 ブルーレイディスクのライナーノーツ

 

2020年

 2020年は札響のニューイヤーコンサート(北広島、札幌、小樽)で幕を開け、1月下旬にはhitaruが神奈川県民ホール、愛知県芸術劇場などと共同制作したビゼーのオペラ『カルメン』でピットに入った。2月定期と東京公演は、首席指揮者バーメルトがベートーヴェンの生誕150年を記念して交響曲第7番をメインに据えた。ここまでは予定通り、例年通りにスケジュールをこなした。

 

新型コロナの渦中へ

 

 だが2月下旬以降、札響は59年間の歴史に例がない、長期間の活動休止を強いられる。元凶はもちろん新型コロナウイルス(COVID-19)の蔓延である。3月定期(第627回)は札響の歴史のなかで初めて中止された。

 

新型肺炎 札響 初の定演中止 2020年3月3日 北海道新聞朝刊

 

新・定期演奏会hitaruシリーズを創設

 

 定期は4月、5月も開催を見送った。hitaru開館を受けて年4回のプログラムを組み、5月28日にスタートを切るはずだった新・定期演奏会hitaruシリーズも、初回からつまづくことになった。秋山和慶指揮、ピアノ独奏に藤田真央を迎えるプログラムだった。

 3月まで楽員で、4月1日に市川雅敏から事務局長のバトンを受け継いだ多賀登は、軒並み中止された演奏会をいつ再開すべきかの判断を問われることになった。「一時期、感染拡大の勢いが弱まり、オケ連(日本オーケストラ連盟)の会議でも、どこの楽団が最初に踏み切るかが注目された」。沈滞ムードが漂う文化芸術分野やエンターテインメント業界の士気を高めるためにも、早期の再開を求める声があったが「楽員が感染してしまう可能性、演奏会開催による感染発生と拡大の懸念、それに伴う他オーケストラ・舞台芸術団体への影響を考え、事務局内で話し合って慎重に判断した」と説明する。「演奏会は、楽員はもちろん、準備する人、開催を待ち望んでいるお客さん、いろいろな人が関わって開かれていることが、身に染みてわかる機会だった」

 やっと活動再開の兆しが見えたのは夏。Kitaraで活動再開に向けた予行演習が行われたのは7月14日のことだ。8月1日になって、4月に開催予定だった「名曲コンサート」の振替公演でファンとの再会を果たす。2,008席のKitara大ホールで、50%の入場制限の中、開催された。弦楽器群は譜面台の共用をやめ、奏者同士の間隔も広く取った。この間、中止または延期された公演は、年間予定の半数を超える70公演以上に及んだ。

 多賀は、オーケストラの活動再開前に最初に行ったアンサンブルの仕事の印象が鮮明だという。「中止された『ほくでんファミリーコンサート』の代わりに企画された木管五重奏と弦楽五重奏の録音立ち合いでした。久しぶりに聴いた生の音とアンサンブルの響きに、ものすごく感動して、体の奥から突き上げるものがあった」

 逆風が吹く中、事務局と楽員は危機感を共有し、早くも3月に独自の動きを見せる。公演を楽しみにしていたファンのために、弦楽四重奏の演奏を動画配信し、「映像配信プロジェクト」の第1弾と位置付けた。メンバーはヴァイオリンの岡部亜希子、赤間さゆら、ヴィオラは鈴木勇人、チェロは小野木遼。岡部は「コンサートができないもどかしさがあり、何かできないかと考えていた。動画を見てくれた人が札響のファンになってくれ、(再開後に)演奏会に来てもらえるきっかけにもなれば」と話した(3月19日、北海道新聞夕刊)。

 映像配信シリーズは、管楽器奏者の楽器のメンテナンス法の公開なども話題になった。トランペットの佐藤誠は「演奏できないことの辛さや焦燥感は今も忘れない」「そんな中、少しずつ演奏配信の動きが始まり、金管セクションの仲間とのリモート演奏ができ上がった時、涙が出るほど嬉しかった」と回想した。

 

アンサンブル
楽器講習会

映像配信されたアンサンブルと楽器講習会

 

コロナ禍で多大な損失

 

 すでに4月時点で、コロナ禍による札響の損失は最大1億円に達する見込みと発表され、5月連休以降にクラウドファンディング(CF)による資金調達がスタートする。損失は12月末時点では総額2億8,000万円、年間収入の約3割に相当した。コンサートマスターの田島高宏も、トランペット副首席の鶴田麻記がデザインしたCFを呼びかけるポスターを携え、愛車で175市町村を行脚し、協力を呼びかけた。

 

札響の損失 最大1億円 2020年4月16日 北海道新聞朝刊

 

 CFの返礼品のアイディアが話題になった。100万円を寄付すると母校の校歌を、150万円を寄付すると社歌をオーケストラの演奏で録音できる特典。札幌新陽小、北海道教育大附属札幌中、帯広三条高、函館ラ・サール高から応募があり、12月に録音を行った。50万円の「楽団員とアンサンブルする権利」もユニークだったが、応募者はゼロ。「楽団と一緒に舞台上で撮影」には多くの応募があった。札響のCFの寄付金は4〜8月で2,667万円。通常の寄付も3,629万円となり、12月末では総額7,300万円に達した。人気演劇ユニット「TEAM NACS」を擁する札幌の芸能事務所「クリエイティブオフィスキュー」との連携で、CD「ともに生きよう」を制作した。オフィスキューは独自のCFでも2,001万円を集め、札響に贈呈した。

 多賀は「支援いただいた方々との関係は、一朝一夕に出来上がったわけではない。楽団の先輩のプレイヤーやお客さんたちが、60年をかけて築き上げてくれたものの重さを感じた」と感謝する。

 苦境は8月以降も続いた。約8ヶ月ぶりの定期再開となる第630回(9月)に出演予定だったバーメルトは、感染防止の水際対策の影響で来日できず、友情客演指揮者の広上淳一に交代した。10、11月には札幌市の共催で特別演奏会「北海道応援コンサート」を開催し、多くのファンからの支援に応えた。

 Kitaraは改修工事のため、11月から約8ヶ月にわたって休館した。これに伴い、定期公演はhitaruに会場を移し、事務局もかつて利用していた札幌市教育文化会館内に一時移転した。11月には、札幌・中島公園のKitara開設に尽力した桂信雄元市長が死去した。

 12月恒例の「札響の第9」はhitaruで開催され、胸まで布を垂らす合唱用マスクを着用して歌う姿が、コロナ禍での演奏会という「異例の事態」を象徴するかのようだった。

 

第九

2020年12月27日 徹底した新型コロナ感染対策のもと開催された「札響の第9」(hitaru) 秋山和慶(指揮)

 

札響合唱団が札幌市文化奨励賞

 

 2006年の創設から研鑽を重ねつつ、合唱付きの大曲に取り組んできた札響合唱団が、札幌文化奨励賞を受賞したのは明るいニュースだった。札響合唱団の存在あっての『スターバト・マーテル』であり『レクイエム』であった。

 

■4月にクラリネットの多賀登が事務局へ異動。元コンサートマスターの大平まゆみは第74回北海道新聞文化賞、2020年度北海道文化賞を受賞した。

 

withマスクの2021年 中谷洋子(札響合唱団広報担当、ソプラノ)

 

 昨年は長い活動休止を経て、無事に「札響の第9」を終えることができました。コロナ禍の戸惑いを超え、ご来場くださった皆様には心からの感謝を申し上げます。

 それにしてもあの合唱用の大きなマスク、異様な景色であったと思います。口の周りは緩く自由度を保ち、巻き舌などの高い飛沫リスクは大きな面積と3枚重ねで予防する製品なのだそうです。それでもブレスをするたび鼻に張り付きますし、頬骨のあたりを布のへりが上下して、どうにも〝お邪魔〟です。ひとりひとりが小さな工夫を重ね本番に備えました。

 2021年は昨年中止された「ドイツ・レクイエム」を9月定期に予定しています。今暫くは、〝withマスク歌唱〟が続くものと思います。引き続きご理解いただけるよう、一層努力してまいります。

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

――2021年1月(第634回)定期プログラムに掲載

 

2021年

余波なお続く60周年イヤー

 

 新型コロナ禍の余波は、創立60周年を祝うべき年も続いた。2月の東京公演が中止されたほか、定期も指揮者やソリストの変更が相次ぎ、事務局が対応に追われた。2020年以降の中止演奏会は99公演にも及んだ。開催できても指揮者や独奏者が海外から入国できず、代役を立てたり、曲目を変更したりとフォローの繰り返しであった。致し方のないこととはいえ、2021年度の定期会員は1,400人程度に低迷した。

 難路は続くが、特筆すべき演奏会も多かった。2月はhitaruと北海道二期会の共催でプッチーニの『蝶々夫人』を上演。タイトル役の佐々木アンリ、ピンカートンの岡崎正治らの健闘、札響の演奏(指揮:柴田真郁)、それに舞台美術や照明の美しさがあいまって、北海道発のオペラを制作するプロジェクトのプレ公演という位置付けを十分にまっとうしたと言える。

 

〈とっておき〉hitaruオペラプロジェクトプレ公演「蝶々夫人」
〈音楽会〉歌唱、美術、照明…全てにオペラの醍醐味 評:中村隆夫 2021年2月27日 北海道新聞夕刊

 

 3月の新・定期演奏会hitaruシリーズ第4回は、伊福部昭の『交響譚詩』を広上淳一の指揮で、3月定期では名誉音楽監督の尾高忠明が、2月に亡くなった兄・尾高惇忠のチェロ協奏曲を追悼の意を込めて世界初演した。

 

定期は金・土から土・日へ

 

 4月からの定期は、首席指揮者バーメルトが定めたシリーズのテーマ「愛と死」に沿って、充実したラインナップとなった。新年度からは、定期演奏会の日程を金曜午後7時・土曜午後2時開演から、土曜午後5時・日曜午後1時開演に変更した。2020年3月から開催をやめていた定期開演前のロビーコンサートを、4月からYouTubeの札響チャンネルでオンライン・ロビーコンサートとして復活させた。

 PMF2021は2年ぶりの開催で、例年のホストシティ・オーケストラ出演のほか、PMF修了生を含む9人の楽員が参加したが、終盤にスタッフが新型コロナに感染したため、一部公演が中止される残念な結果になった。

 

60周年定期は『未完成』とブルックナー

 

 9月の60周年記念定期(第640回)は、これまでコロナ禍で入国手続きが難航し、予定していた演奏会に出演できなかったバーメルトが万端の準備を整えて登場し、シューベルトの交響曲『未完成』、ブルックナーの交響曲第7番を取り上げた。自身が指揮台に立ったのも2020年2月の札響東京公演以来1年7ヶ月ぶり。曲目は当初のブラームス『ドイツ・レクイエム』から変更されたが、楽員にとってもファンにとっても待望の公演となった。本堂知彦は、とくにブルックナーを高く評価。「特筆すべきはその磨き抜かれた音色で、たとえば第3楽章の中間部では、ヨーロッパのオーケストラもかくやと思わせるほどの響きを聴かせた。札響のパフォーマンスにも心からの拍手を送りたい。このブルックナーはさまざまな意味で札響の演奏史における里程標となることだろう」と書いた(『音楽の友』11月号)。

 

武満徹の世界初演CD発売

 

 60周年事業としては、これまで節目に取り組んできた海外公演を行わず、ホームページの充実、若手事務局員の着想によるInstagramのメッセージリレーなど、足元からの発信に努めた。記念アーカイヴとして、すでにCDになっているラドミル・エリシュカのフェアウェル・コンサート(2017年10月定期)のブルーレイディスク、尾高忠明指揮のシベリウス交響曲全集のCDを発売した。さらに、音楽監督・岩城宏之のもと1982年6月に実現したオール武満プログラム演奏会の音源と、同時に行った講演会の模様が、名門レーベルのドイツ・グラモフォンから世界発売され、音楽ファンに注目されたのも華を添えた。タイトルは『1982 武満徹世界初演曲集』。10月から2022年3月までは、Kitaraギャラリーで写真展「札幌交響楽団ものがたり〜創立60周年記念特別篇〜」を開催した。
 11月27日にバーメルトの指揮で開催した「札響名曲コンサート」は、古今の作曲家(グノー、ベルリオーズ、ワルトトイフェル、シベリウス、ドヴォルジャーク、チャイコフスキー、J.シュトラウス II、R.シュトラウス、ラヴェル)のワルツを取り上げた。録音が行われ、2022年3月末にCD『The Waltz 夢幻∞ワルツ』(フォンテック)として発売された。

 

コロナ下の60周年記念イヤー 2022年3月26日 北海道新聞朝刊 工藤重典写真は撮影:Makoto Kamiya

 

ブルーレイ

(左から)
エリシュカ指揮『ザ・フェアウェル・コンサート・イン・札幌』ブルーレイディスク
『シベリウス交響曲全集』
グラモフォン『1982 武満徹世界初演曲集』

 

 10月、札響は2022年度からの新体制を発表した。前述の通り正指揮者に川瀬賢太郎が就任するほか、広上淳一は友情客演指揮者から友情指揮者へとタイトルが変わり、バーメルトをベテラン広上と若手の川瀬の師弟コンビが支えるトライアングルで臨む。また、2019年11月に大平まゆみが退団して以来、田島高宏が一人で務めてきたコンサートマスターに新鋭の会田莉凡が就任し、久々に2人体制となるのも歓迎すべきニュースとなった。

 

川瀬賢太郎

(左から)
川瀬賢太郎 撮影:Yoshinori Kurosawa
会田莉凡 撮影:K. Seki
広上淳一 撮影:Masaaki-Tomitori

 

会田莉凡

札響コンマス新章へ 2022年1月1日 北海道新聞朝刊別刷

 

エリシュカ 名声衰えず

 

 晩年は札響とともにあった名誉指揮者エリシュカの名声は没後も衰えず、本人とも交流があった彫刻家の遠藤丈太が、マエストロの穏やかな表情を捉えた首像を制作し、10月に札響に寄贈した。チェコに住む妻ヴィエラは、事務局を通じてファンに「私たち夫婦の第2の故郷である日本、とりわけ夫が最も愛した札幌の皆さんへ。最高に幸せだった札幌での日々への深い感謝の念とともにコロナ禍の収束をお祈りします」とメッセージを寄せた。

 

会田莉凡

エリシュカの温かな音 今も 2021年10月23日 北海道新聞朝刊

 

エリシュカ首像

エリシュカ首像 制作・寄贈:遠藤丈太

 

 8月、コントラバスの下川朗が第19回東京音楽コンクール弦楽部門で3位に入賞した。

 

伝統意識しつつ前へ

 

 楽員を代表する存在であるコンサートマスターとして、在籍通算10年を超えた田島高宏(2001年4月〜2004年3月、2014年9月〜現在)は、2020年のコロナ禍による「空白の時間」をこう振り返る。

 

田島高宏 撮影:K. Seki

 

 「実は、コロナ禍で休んでいた期間にどんなことをしていたか、楽員の何人かに尋ねてみたんです。エチュードをさらうなどで、自分の音や技術に向き合っていたと答えた人が結構多かった。僕たちはお客さんがあっての演奏家だし、楽しみに待っていてくれる人がいることが明日への活力になる。一生懸命に演奏したことへの反応が返ってくると、頑張ってよかったなと思う」。コロナ禍が一段落して楽員と再会したときは、高揚したという。「弾きたくてしょうがない気持ちを抱えていたから、またみんなの顔を見ることができて、ふだんあまり話したことがない人にも声をかけてしまった」

 「札響の演奏を聴く人がイメージすること……音に透明感があるとか、北欧のような空気だとか、あるいは僕たち自身も、北海道に住んでいるから生活も楽しみながらあくせくせずに演奏できるとか、そういう特徴は大事にしたい。また、今度コンサートマスターとして会田莉凡さんが加わる。ここ数年間に入ってきた彼女と同世代ぐらいの若手がのびのび演奏できる環境をつくることは、僕の役割のひとつかもしれない。もちろんのびのびも大切だけど、室内楽などを通して音楽的な価値を交換し合って、オーケストラに還元することも成長のために必要です」

 田島は、そのために不可欠なこととして、音楽監督の就任を待望する。「一貫した理念や目標を示してもらい、それを軸に自信を持って前に進んでいきたい」という。

 

 60年にわたって培ってきた伝統を意識しつつ、困難に直面したときも、無風に見えるときも、明確な意思を持って前進することで未来が開けてくるはず。その意識は楽員にも浸透してきている。

 2002年の経営危機も経験したベテラン打楽器奏者の大垣内英伸は楽員アンケートにこう記した。

 「Kitaraやhitaruなど素晴らしいハコがあるのだから、企画力を高めて注目されるオーケストラになっていけたら良いと思います。それにより優秀なメンバーが集まり、演奏の質も自ずと高まる要素になると思います」

 破綻の危機を歴史としてしか知らない世代はどうか。オーボエ首席の関美矢子はこう願う。

 「まだ5年しか在籍していない私が定年の頃は、90周年を迎える頃でしょうか。クラシカルな品格と、エンターテインメントの若々しい創造力を持ち合わせたオーケストラでありたい。札響100年、150年の歴史を目指して、輝きながら発展していけますように

 そしてヴァイオリンの岡部亜希子が掲げた、すがすがしい目標が創立61年目の道を照らす。

 「定期会員数3,000人、いや5,000人を目指す!」

 

北海道新聞提供の写真、紙面は北海道新聞社許諾D2204-2304-00024903

 

創立61年へ 期待と課題

 

 創立61年を迎える札響の課題とは何か。東条碩夫は、尾高音楽監督時代を中心とする発展を高く評価しつつも、現在の札響のポジションを相対化してみせる。ポイントは東京の楽団の成長ぶりにあるという。「2000年代に入っての東京のオーケストラの進歩はめざましい。音楽大学のレヴェルが上がった(優秀な奏者が入団する)ことや、外来オーケストラに刺激された影響が出てきたのかもしれない。さらに、プログラミングが――すべてとは言わぬまでも――指揮者のラインナップを含め、かなり個性的になった。それが各々の楽団の特色を際立たせ、ファンの獲得に役立っている」という分析だ。

 ことプログラミングについては「マニアックな曲とオーソドックスなものの組み合わせ方がうまくいった場合は話題になるし、そうじゃないと面白くならない。料理のメニューとも似ている。札響も年に一度、突拍子もないことをやって、全国に『札響って変なことやるな』と印象づけて、あとはオーソドックスでもいい。しっかりしたプログラミングをして、しっかりした客演(指揮者・ソリスト)を呼んで、たまにものすごい曲をやって楽員が張り切るような状態になれば」と期待する。

 

東条碩夫

東条碩夫

 

 一例を挙げれば、邦人作品や現代曲を演奏会で取り上げることは、集客面ではリスクを負うことにつながる。かといって保守的なプログラムに終始していては、クラシック音楽の創造性や新しい潮流、さらに言えば革新に期待する層の掘り起こしにはつながらない。事業部長の宮下良介は、プログラミングの重要性を認識しつつ、「札響は北海道で唯一のプロオーケストラ。どうしても古今東西の名曲をバランス良く取り上げる必要があります」と語る。その上で、シェフ(首席指揮者)との綿密なやりとりの一端を明かす。

 

バーメルト 撮影:Y. Fujii

 

 バーメルトは首席指揮者就任の翌シーズンから、定期演奏会に年間テーマを導入し、ひとつのシリーズのように仕立てる試みを打ち出した。宮下は「これに応えて客演指揮者も選曲を工夫してくれて、なぜこの曲を選んだのか、一種の謎かけのような趣になったこともある。これも演奏会の面白さのひとつではないか」と述べる。バーメルトは前述の通り演奏会企画に関して多様な引き出しがある。その要求に応えるかのように、たとえば2020年に始まった平日夜の新・定期演奏会hitaruシリーズは、誰でも知っているような名曲を柱に据えて集客に配慮しつつも1曲は邦人作品や現代曲を入れるプログラミングを原則としている。

 宮下は続ける。「バーメルトが常に強調するのは、世界に発信していける楽団を追求すべきだ、という点。日本の作曲家や作品を掘り起こして紹介することを考えてきた。あるいは北海道の作曲家を見出したいという目標もあった。これは60年記念事業として具体的に計画して、コロナ禍で残念ながら実現できなかったが、札響主催の作曲コンクールを考えていた」。作曲家に単発で依頼する作品委嘱のほか、楽団やホールが一定期間に複数曲を委嘱するコンポーザー・イン・レジデンスの例は近年増えてきた。だが、オーケストラが独自に設ける作曲賞としては創設70周年となるNHK交響楽団の「尾高賞」が知られるぐらいで、札響にとっては画期的、かつ大きな挑戦となるはずだった。

(古家昌伸)

 

バーメルトが語る これからの札響

 
 首席指揮者マティアス・バーメルトが札響で実現したいと考えることは何か。音楽文化の「大使」として道外・海外をも志向するオーケストラ、聴衆の期待感を高めるプログラム構成、音楽を通じたコミュニケーションの意識を高めること。それぞれの答えにマエストロの音楽性がにじんだ。
(聞き手:古家昌伸、通訳:庄司寿子)
 
バーメルト
マティアス・バーメルト 撮影:Y. Fujii
 
私たちオーケストラには「大使」の役割があるのです
 
――今後の札響の活動について、首席指揮者としてどのように考えていますか。
 
 どこのオーケストラでも同じだとは思いますが、私が地方の楽団でとくに大切だと思っているのは、人が来るのを待っているだけではなく、こちらから迎えにいく姿勢です。札幌にとどまらず、北海道全体に出かけて行かなければならない。道外、海外にも出て行かなければならないと思っています。私たちオーケストラには(音楽文化の)「大使」の役割があるのです。
 
――首席指揮者就任からまもなく、定期演奏会の年間テーマを設定してきました。その狙いとは。
 
 私が演奏会シリーズのテーマ設定を提案したのは、聴いてくださる方が、単一の演奏会としていらっしゃるのではなく、シリーズとして「今回はこうだった」「次は何だろう」という期待感を持ってほしいとの考えからです。オーケストラのプログラムは、毎年大きく変えていかないと、どうしても似たり寄ったりになってしまいます。2021〜22シーズンは「愛と死」がテーマですから、とてもドラマチックな、感情の起伏が激しい音楽が選ばれています。2022〜23シーズンは、もっと落ち着いた、というかみんながよく知っているものになります。……まあ、オーケストラが正式に発表していないのを私が言うわけにはいきませんよ(笑)。〈後日、テーマは「水」と発表された)
 

――オーケストラの運営に対し、首席指揮者としてどんな役割を果たせると考えますか。
 

 まず資金的に安定することをいつも私は気にかけ、そこにかかわってきました。今までのオーケストラでもそうですが、ファンドレイジングの仕事の比率が大きかったですね。これは矛盾することかもしれませんが、資金的に安定しているオーケストラは公的な機関も注目し、その活動に対して補助金が増えるというサイクルがあると思います。
 
音楽家はもっとコミュニケーションを取るべき
 
――オーケストラ全般の問題として、聴衆の高齢化がありますね。
 
 世界中どこでも同じような問題があります。例えば今まで演奏会に来てくれた人が、みんな年配者になってしまい、なかなか来てくれない。だから若い人をホールに呼ばなきゃいけないと言いますね。しかし、どうでしょう。どうしても若い人なのか。だって私も以前は若かったですよ(笑)。若い世代はエンターテインメントの要素がある曲を聴きたいと思っている。そのような曲を楽しんでいる。でも、年齢を重ねて、家族を持つようになると、もう少し胸の深いところに響くような音楽を聴きたいと思うかもしれません。いろいろな人がその世代で楽しめるような、多様なシリーズを提供していくことが必要じゃないでしょうか。
 
――若い世代が楽しめるプログラムがあり、人生を謳歌してきた人たちが聴きたいプログラムもある、ということですね。
 
 この時代は、昔のように演奏会場で演奏すればいいだけじゃないと思いますよ。もっと人を引き寄せるような、何か特別なアイテムがなければならない。ただ聴くだけじゃなく、頭で考える時代にもなっていますから。燕尾服を着た人がたくさん出てきて、指揮者がペンギンのように舞台に上がって挨拶して、背中を向けて指揮する。そんな形態もそろそろ終わりじゃないかな、と思います。音楽家はもっとコミュニケーションを取ることを意識すべきです。音楽こそがそのコミュニケーションであると、私は思うのです。
 
――最後にひとつうかがいたいことがあります。バーメルトさんがロンドン・モーツァルト・プレイヤーズとともにシャンドスレーベルから出した、24枚組の「モーツァルトの同時代の作曲家」シリーズ(Contemporaries of Mozart)は高く評価されています。もし、ふんだんな予算とスケジュールの余裕が天から降ってきて、札響とともに10枚組のCDを制作できると仮定したとき、どんな企画を考えますか。
 

 ご存じのように、私はこれまでレパートリーとして持っていなかった曲の録音を続けてきました。先ほどおっしゃった「同時代」シリーズもその方針でしたが、実はモーツァルト自身の作品は録音していません。同時代の作曲家と、モーツァルトの仕事を組み合わせて聴くと、コンテキスト(文脈)の比較になるかもしれませんね。それともうひとつ、日本に西洋のクラシックが入ってきたころの、日本人作曲家の曲を取り上げてみたいと思ったこともあります。これはまだ勉強中なのですが。
 
――モーツァルト・ツィクルスは札響にとっても未体験ですし、西洋音楽のあけぼのに光を当てる企画も興味深いです。いつの日か実現できることを願っています。ありがとうございました。
(2021年9月)