loader image

札幌交響楽団

札幌交響楽団

History 1961 - 2021

2002年12月26日 ベートーヴェン交響曲全曲連続演奏会の最終日 Kitaraの指揮台に向かう尾高忠明
第5章 尾高・高関と未来へ [1998 - 2011]

危機を越えて

 常任指揮者に就き、さらに音楽監督となった尾高忠明が、正指揮者高関健との2人体制で札響を成熟へと導く。経営危機を楽員・事務局一丸となって乗り越えたオーケストラは、創立50周年記念ヨーロッパ公演で多くの実りを得、市民とともにたゆまぬ歩みを続けていく。

1998年

 1998年4月、大平まゆみがコンサートマスターに就任した。大平は仙台出身。米国シラキュース交響楽団のアソシエイト・コンサートマスター、カナダ・ヴァンクーヴァー交響楽団の首席第2ヴァイオリン奏者、東京交響楽団のアソシエイト・コンサートマスターなどを務めてきた。これでコンサートマスターは、グレブ・ニキティンと大平の2人となる。

 またこの4月、創立団員で唯一現役だった北市勝年(チェロ)が定年で退団している。そしてこの月のプログラムの事務局だよりには、こんな一節があった。

 「暗い話題の多い北海道の中で、札響が皆さまの大きな楽しみとなるよう努力いたしますので、今後ともよろしくお願いいたします。コンサドーレに負けてはいられません!」

 コンサドーレ札幌は96年に誕生したプロのサッカーチームである。前年10月にJ1昇格を決め、98年から日本のトップリーグに参戦していた。その一方、北海道拓殖銀行の経営破綻(97年11月)で北海道の経済は沈み込み、札響の法人維持会員は減少していた。

 この年、札響は「文化庁芸術創造推進事業(アーツプラン21)」の指定団体となり、重点的な支援を受けられるようになった。

 5月には尾高忠明がミュージック・アドヴァイザー/常任指揮者に、円光寺雅彦が正指揮者に就任した。尾高は、岩城宏之が音楽監督だった時代の81年から5年間正指揮者を務めて以来、12年ぶりの再登場。50歳になっていた尾高は北海道新聞への寄稿で、師の斎藤秀雄から指揮者は50歳になってようやく第一歩が始められると教わったことにふれ、「50歳になって初めてお引き受けするポストが、今回の札幌交響楽団常任指揮者」と意欲を見せた(1998.4.10夕刊)。また、一度離れた指揮者が同じ楽団に戻ることは稀であり、札響とは最初から互いに相性の良さを感じていた、ともある。尾高は就任にあたって、CDの製作、海外ツアーの実現、国際教育音楽祭PMFとの関係改善といった方針を打ち出した。

 円光寺は桐朋学園大学での斎藤秀雄の最後の教え子で、仙台フィルの常任指揮者の任にあった。札響とは82年3月の旭川公演を手始めに、これまで38回の公演を持っていた。

 同月、理事長に坂野上明北海道新聞社社長が就任した。

 7月4日には「Kitara1周年記念『夢・彩・響』ガラコンサート」に出演。円光寺雅彦の指揮により、杉木峯夫(トランペット)、西明美(メゾソプラノ)、金木博幸(チェロ)、遠藤郁子(ピアノ)といった札幌ゆかりの音楽家との協演を行った。

 夏が終わるころ、道内の音楽関係者の間で札響とPMFの関係があらためて議論されている。尾高がPMFとの関係強化を打ち出していた一方でPMF組織委員会の中でも札響を音楽祭の中にきちんと位置づけたいという声が強まり、両者は連携に向けて進んでいった。

 

 9月定期は、尾高によるブルックナーの交響曲第7番。前半、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番の独奏に立った藤川真弓と尾高は桐朋女子高校(音楽科は男女共学)の同期生である。

 この月、稚内120年の記念行事「稚内市民第9合唱の夕べ」に出演(指揮:山下一史)。稚内では14年ぶりの「第9」だった。また下川町では下川商業高創立50周年の記念事業、美深町では美深町百年記念事業のほくでんファミリーコンサートを行った。

 
 

1999年

 2月の定期演奏会は、円光寺雅彦が正指揮者となってからの初登場。ドヴォルジャークの序曲『謝肉祭』と交響曲第7番の間にベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ピアノ:長岡純子)をはさむプログラムを組んだ。

 

 4月、Kitaraで「第1回札響くらぶコンサート 札響と遊ぼう」が開かれた(指揮:渡辺一正)。ファンクラブの立場から聴衆と楽員の交流を深めたいと企画したもので、このあと開催を重ねていく。

 この月から11回にわたり、定期演奏会で「20世紀音楽―同時代セレクション」が始まった。

 2000年から2001年へと年を越えると、21世紀を迎えることになる。世紀の変わり目まで残すところ1年8カ月。次代に残すべき20世紀の作品をここであらためて掘り下げ、聴いてもらおうという狙いだ。始めるに当たり、企画者の尾高は98年12月定期のプログラムにこう書いている。

 「今まで、20世紀の音楽イコール現代音楽という概念がありましたが、それもあと2年で変わるわけです。2001年からは20世紀の音楽は前世紀の音楽となります。そこで、私たち札幌交響楽団も21世紀を目前に、20世紀の音楽に今一度目を向けてみようと思い立ちました。(中略)10回で100年を、20世紀全体を聴き直そうという壮大な企画です」

 札響にとっては、ほぼ毎回初演曲が並ぶこととなる。シリーズのプロローグと位置づけた4月は高関健の指揮で、1900年に作曲されたマーラーの交響曲第4番、1899年作曲のシベリウスの交響詩『フィンランディア』などを取り上げた。

 またこの4月、空席だったヴィオラの首席奏者として、大阪フィルハーモニー交響楽団首席を務めていた廣狩亮(ひろかりあきら)が入団した。

 

 5月、2001年に英国で行われる日本文化祭「JAPAN2001」に出演依頼を受けた。「JAPAN2001」は、外務省の肝いりで2001年5月から翌年3月まで英国全土で開かれる、総合的な文化祭である。大英博物館での「古代日本の聖なる美術」展や歌舞伎上演といった行事のほか、日本食の紹介や一般市民の交流も予定されていた。理事会・評議員会での承認を受け、資金の確保などを急いだ。

 

 5月定期は「20世紀音楽―同時代セレクション」の第1回(指揮:外山雄三)。50年代の作品から武満徹『弦楽のためのレクイエム』、ヒンデミットの交響曲『世界の調和』、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番(ピアノ:野島稔)、バーンスタイン『ウエストサイド物語』から「シンフォニック・ダンス」が演奏された。

 この月、稚内信用金庫(井須孝誠理事長)の札響公演支援事業が全国信用金庫協会の第2回信用金庫社会貢献賞「FACE TO FACE賞」を受賞した。94年の北海道地域文化選奨特別賞・企業市民文化賞(主催:北海道)、95年のメセナ地域賞に加え、さらなる評価を受けたことになる。

 また同じ5月、末廣誠が札響指揮者を退任している。

 

 7月4日、2歳を迎えたKitaraの「バースデイコンサート」。尾高は、武満徹『海へⅡ』やディーリアス『楽園への道』などでホールにふさわしい弱音の響きを求め、後半のR.シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』では、ホールが1年交代でヨーロッパから招いている専属オルガニストのパスカル・マルソーが協演した。

 PMFとの連携においても、この夏は新たな進展が見えた。それまで札響がPMFで演奏するのは年2、3回だったが、PMF組織委員会がコスト削減のために海外オーケストラの招聘を取りやめたこともあり、この年は5回。なかでも3日間にわたってKitaraで開かれた教育プログラム、「PMF青少年のための音楽会 バーンスタインビート」が新機軸として注目された。PMF札響演奏会においても、PMF首席教授のペーター・シュミードル(ウィーン・フィル首席クラリネット奏者)を独奏者にバーンスタインのクラリネット・ソナタ(シド・ラミン編)に取り組み(指揮:ジョナサン・シェファー)、新たな関係づくりが進んでいることを印象づけた。

 7月の美瑛町でのグリーンコンサートは、同町の100年記念事業の一環だった。

 8月、72年から85年まで首席ファゴット奏者・コンサートリーダーを務め、札響にこの人ありと言われた戸澤宗雄が、函館の自宅で死去。72歳。海軍軍楽隊出身で「最後のガクタイ」の逝去は、多くの人々に時の流れをしのばせた。

 

 札幌通運が設立50周年を記念して11月に行った「札響チャリティコンサート」(Kitara)には、札幌の社会福祉法人「草の実会」の約30人が招待された。また12月の「第9」は、チケットが完売となった(指揮:飯守泰次郎)。

 この年、尾高は、長年にわたるこの作曲家への取り組みが評価され、英国エルガー協会より日本人初となるエルガー・メダルを受賞した。

 
 

2000年

 4月から「20世紀音楽―同時代セレクション」の後半がスタート。初演曲も多く、保守的な嗜好をもったファンからはやや違和感を抱かれながらも、話題と注目が高まった。

 

英国からCD発売

 

 2000年5月には英国でクラシック音楽を専門とするCD会社シャンドスの技術者の手で、世界発売となるCDをKitaraで録音。尾高の指揮により、日本人作曲家特集として、黒澤明監督の映画「乱」の音楽をはじめとする武満徹作品と、尾高惇忠(おたかあつただ)『オルガンとオーケストラのためのファンタジー』(世界初録音)、細川俊夫『記憶の海へ―ヒロシマ・シンフォニー』をそろえた。2001年秋に計画中の英国公演に向けたプロモーションの一環でもあった。

 6月定期は、20世紀シリーズの1920年代。100人の合唱団と4人の独唱者、オルガンが加わって、ヤナーチェクの大曲『グラゴル・ミサ』が演奏された(指揮:山下一史)。

 またこの6月には、有珠山の23年ぶりの噴火(3月31日)災害に対して「札響特別演奏会 有珠山災害被災者支援コンサート」を開催(Kitara)。入場料収入の全額を被災地に贈った。9月には被災地の虻田町を訪れて、「がんばれ洞爺湖!道新札響コンサート『山本直純の9大B』」を開いた。

 

 この年のPMFでは、尾高が初登場。PMF教授陣のウィーン・フィル奏者から、7月9日には管楽器4人(オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン)、12日には弦楽器2人(ヴァイオリン、ヴィオラ)を独奏に迎えて、それぞれモーツァルトの『協奏交響曲』を取り上げた。尾高が当初に掲げた施策―CDの録音と海外ツアー、PMFとの関係強化―は、着実に具体化されていく。

 9月には岩内で町制施行100年を記念した演奏会。この9月末、グレブ・ニキティンが東京交響楽団コンサートマスターに転じ、コンサートマスターは大平まゆみ1人となった。

 10月、76年から毎年続けられてきた網走での定期演奏会が25回目を迎え、指揮に小泉和裕、ヴァイオリン独奏に千住真理子を迎え、ゲネプロを無料公開するなど記念にふさわしい趣向を凝らした。

 

 一方でこのころ、定年退職者への退職金がかさんだこともあり、単年度赤字が過去最悪の5000万円前後に達する見込みとなった。累積赤字は約3億5500万円。経営安定化のために積み立てられた札響基金9億3000万円の年間運用益は、一時は約6500万円あったものがその後の金利低下で1000万円程度となり、運用益で退職金が手当てできれば、という狙いはかなわなくなっていた。

 Kitaraには海外のオーケストラが次々来演している一方で、札響の公演回数は、道内公演と音楽教室の減少が響いてこの年は98回にとどまった。2けたで終わったのは1977年以来23年ぶり。経営には危惧すべき状況が現れていた。

2001年

 21世紀幕開けの年。1月には前年録音のCD「TAKEMITSU・HOSOKAWA・A.OTAKA」がシャンドスから英国内で発売された。その後米国などに続き、日本語解説付きの国内盤も2月に売り出された。

 経営への逆風がつのる3月、札幌・地下街オーロラタウンのオーロラプラザで無料のミニコンサートが始まった。400人余りの人垣のなか、楽員16人が約30分間にわたって親しみやすい曲目を演奏。定期演奏会の案内を配りながらKitaraに札響を聴きに来ませんか、と呼びかけた。ホールで聴衆を待つだけではなく市民の中へ飛び込んでいこうという、事務局とユニオンが問題を共有した取り組みだった。このころ定期会員は、1000人をわずかに超える程度にまで減少している。

 4月、ミュージック・アドヴァイザー/常任指揮者尾高との契約が更新された。任期は2004年4月までの3年間。4月定期を振った円光寺雅彦はこの月で正指揮者の任を終えた。

 尾高はこの時期、北海道新聞のインタビュー(2001.6.25夕刊)で札響が変わりつつあることを強調して、「Kitara開館直後のころ、このすごいホールを鳴らし切るだけの音量が出せず、明らかにホールに負けていた。それが最近、ホールに見合う音量を出せるようになっている」と語り、さらに楽員の自発性が向上していることを挙げながら、「以前は、むちを当てないと動かないところがあったが、今は自ら“歌う”ようになった」と答えている。1999年から2年間にわたった「20世紀音楽」シリーズについては、集客面では冒険的な試みであり、この間に定期会員が減ったことは認めながらも、「意義を感じてくれた聴衆も少なくなかった」とし、「レパートリーの欠落を補えた利点もあった」と語っている。

 4月からは「オーケストラ音楽の変遷」をテーマにしたシリーズが組まれた。年間11回の定期演奏会のうちこの企画に客演指揮者の回を含む5回を充て、月ごとに国別のプログラムとし、バロック、古典派、ロマン派の作品を組んだ。月・国別・指揮者の組み合わせは次のようになっていた。4月=オーストリア・円光寺雅彦、6月=フランス・尾高忠明、10月=イタリア・沼尻竜典、12月=ドイツ・飯守泰次郎、1月=チェコ・大山平一郎。

 

 この月、コンサートマスターに、桐朋学園大学を卒業したばかりの田島高宏が22歳で就任。コンサートマスターが再び2人体制となった。国内プロオーケストラの中で田島が最年少コンサートマスターであることもニュースとなった。

 またこの4月は、ニセコ町で開基100年記念のほくでんファミリーコンサートを開いた。

 5月定期には31歳の下野竜也が初登場。シューマンの交響曲第4番、ヒンデミットの『ウェーバーの主題による交響的変容』ほかを聴かせた。

 同月、理事長の交代があり、新理事長に東(ひがし)功北海道新聞社社長が就いた。2000年度決算は、単年度赤字が過去最悪の5278万円、累積赤字が3億5528万円となっていた。

 PMF札響演奏会ではこの年も教授陣が独奏で参加し、7月12日の公演では管楽器2人がダンツィの『協奏交響曲』、17日の公演では管楽器9人と打楽器2人がマルタンの『7つの管楽器と弦楽とティンパニのための協奏曲』で協演した。両日を指揮した尾高は得意とするエルガーの交響曲第1番もプログラムに組み(12日)、札響の存在感を打ち出した。

 

創立40周年で英国ツアー

 

 2001年8月、英国公演に向けて協力を呼びかけていた助成金・寄附金の総額は約1億7600万円となった。内訳は文化庁、北海道、札幌市、国際交流基金から計1億1300万円、道内外の93社とコンサート会場での募金などで6300万円であった。

 しかし出発まで1カ月あまりとなった9月11日、大きな事件が起こった。米国で勃発した同時多発テロで、民間航空機を巻き込んだ大惨事は死者が約3000人に達した。これにより世界の航空網は非常事態に陥り、航空路の安全性に対する不安が一気に増した。外国オーケストラの中には日本公演を中止したところもあり、札響の周りでも英国公演の実施を危ぶむ声が上がった。しかし札響は臨時の理事会・評議員会を開き、ユニオンとも慎重に協議した上で、予定通り行う方針を確認した。

 出発を前にした10月12日、Kitaraでの「札響創立40周年 英国公演記念演奏会」の冒頭、東理事長はステージ上から「渡航の不安はあるが、楽団員からこういうときこそ行かねばならないとの声も寄せられた。熱い思いをくんで尾高・札響の真価を聴いてほしい」とあいさつした。

 英国公演に用意された曲目は、シベリウス作品から交響詩『フィンランディア』、ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン:竹澤恭子)、交響曲第2番の3曲と、マーラーの交響曲第4番(ソプラノ:レベッカ・エヴァンス)、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ピアノ:ジョン・リル)、武満徹『スター・アイル』、ドヴォルジャークの序曲『謝肉祭』。この中から会場ごとに組み合わせを変えて、プログラムが構成された。

 

 10月21日、一行約90人が新千歳空港から出発した。英国到着後、ロンドンでリハーサルののち、南ウェールズのスウォンジーで最初の公演を行った。英国は4つの国、すなわちイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの連合国だが、日本のオーケストラでは初めてそれぞれの首都(ロンドン、カーディフ、エディンバラ、ベルファスト)で演奏したほか、クロイドン(イングランド)、バーミンガム(同)でも演奏会を持った。

 

2001年10月29日 Japan 2001 札響英国公演・バーミンガム公演(シンフォニー・ホール) 尾高忠明(指揮)

 

 中でもカーディフは尾高が長く首席指揮者を務めたBBCウェールズ交響楽団の本拠地であり、熱い拍手での歓迎となった。

 このツアーを取材した音楽番組がNHK札幌放送局と北海道文化放送(UHB)の手で制作され、それぞれ12月と年明け1月に、その成功の様子が映し出された。

 この10月には、インターネットに札響のホームページが立ち上がった。

 
 

2002年

 2月、楽員によるカルテット、イグナーツ弦楽四重奏団が、第17回定期演奏会で、目標としていたベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲演奏を達成した。1993年に横井愼吾(第1ヴァイオリン)、福井岳雄(ふくいたかお)(第2ヴァイオリン)、馬場順子(ヴィオラ)、文屋治実(ぶんやはるみつ)(チェロ)で結成。94年から年2回定期演奏会を開いていたが、馬場が2001年に退団して横浜に拠点を移したこともあり、これをもって活動の幕を下ろした。

 3月、函館市民会館で、マーラー「復活」公演実行委員会と函館市文化スポーツ振興財団が主催、中学生から70代まで約200人の市民合唱団との協演によるマーラーの交響曲第2番『復活』演奏会が行われた(指揮:飯守泰次郎)。札響にとっては1994年9月の第361回定期以来の、2度目の演奏だった。

 開始から29年の「ほくでんファミリーコンサート」は、HBCラジオでのライヴ録音放送の番組は3月で終了したが、引き続き北海道電力10支店管内を巡演しての年12回開催を続けていく。

 

 4月定期は、原田幸一郎指揮によるオール・ブラームス・プログラム。ヴァイオリン協奏曲は原田の薫陶を受けた15歳の神尾真由子が独奏して喝采を浴びた。

 この月、前年の英国公演に対し「日英交流などに多大な貢献があった」として、外務省の駐英日本大使表彰を受けた。

 6月には、指揮者で作曲家の山本直純が急性心不全のために東京で死去。69歳。札響との協演は42回を数え、音楽の魅力を明るく伝える軽妙なトークとダイナミックな指揮ぶりは多くの人を魅了した。死去20日前の5月29日にKitaraで開かれた「札響名曲シリーズ Vol.1 山本直純の『懐かしのホームクラシック名曲選』」演奏会が人生最後の指揮となった。

 6月、前年の英国公演の特集を含む『札幌交響楽団40年誌』が刊行された。定期演奏会全記録、年表、歴代演奏会ポスター紹介などからなる。A4判102ページ、1300部。

 8月にはCD「ワールド・ミュージック・スタンダード・セレクション」の録音をKitaraで行った。自動車用クラッチ板製造大手のダイナックス(千歳)から翌2003年の創業30周年記念メセナ事業として資金が提供されての製作で、『星に願いを』など映画やミュージカルのナンバー、『川の流れのように』などのヒット曲、山田耕筰の『赤とんぼ』、石田雪子のソプラノを加えての『アメイジング・グレイス』など、計20曲を山下一史の指揮で収録した(発売は03年1月)。

 

 9月定期からは尾高による「ベートーヴェン交響曲全曲連続演奏会」がスタートした。12月まで4回の定期演奏会で第1番から第7番までを番号順に演奏し、12月の「札響の第9」で8番と9番を演奏するという企画で、尾高自身にとって初めての取り組みだった。尾高は、「50代に入ってようやく覚悟と自信が固まった。最初のベートーヴェン・チクルスは札響で、と決めていた」と、満を持しての挑戦だった。

 

「ベートーヴェン交響曲全曲連続演奏会」半ばを終えて

尾高忠明(2002年12月定期演奏会プログラムから)

 

 初めてのベートーヴェン・チクルスが始まって3カ月が過ぎた。残すところ、今月の定期演奏会と特別演奏会の2回だ。とは言っても、終わったのは5番までで、まだまだ道半ばというところだ。しかし。ここに至る9月の『プロメテウスの創造物』序曲から先月の交響曲第5番まで、一貫してたゆまぬ努力を惜しまず、実に集中した演奏を繰り広げてくれている楽員諸氏に、心からの感謝と深い尊敬の念を持ち続けている。本当に「初めてのチクルスが札幌交響楽団で良かった!」と思う。そして、第1回から実に温かいお客様のはげましを背中に感じ、それが回を追うごとに大変熱いものにまで変わってきたのには、正直、涙が出た。10月の英雄交響曲、11月の第5交響曲の時には、僕には楽聖ベートーヴェンの“顔”が大きく舞台の上に浮かび上がったように見えた。そう、ベートーヴェンは今も生きている。

 前回までの皆さまへのごあいさつで版の違いなどをお伝えしたが、その後数多くの方から、僕なりの方法に賛成して下さるお手紙やメールなどをいただき恐縮した。仲間の指揮者で、「そうだよ、それで良かったんだよな。俺もこれからそうしようっと!」などと言うものもいた。しかし、大先輩には「当然のことだよね」と一言で片づけられてしまった! でもこの版の違いというのは、僕自身は実際にはそれほどの大問題ではないと思っている。それよりも重要なことはたくさんある。テンポ、演奏様式感、などなど。そして何よりも大事なのはベートーヴェンに対する尊敬の念であり、愛情ではないだろうか? 僕自身はこのチクルスが始まって以後、以前にも増して「ベートーヴェンは凄い。ベートーヴェンさん本当にありがとうございます!」と感じ入るようになった。

 ベートーヴェンは偉大なり。

 

経営危機が表面化

 

 経営面では、事態は悪化していた。

 経営悪化の一面を寄附金と維持会費収入の合計額で見ると、1996年度に6470万円、2001年度に5795万円だったものが、02年度には4630万円に落ち込んでいた。また退職給付引当資産を持っていなかったため退職金支払いは経営を直接圧迫していたし、地方公演の行程を都合良く組めず移動費がかさんでしまったり未収金の回収が完全でなかったりといった不備もあって、02年度末には単年度赤字7400万円、累積赤字5億円に達しそうになっていた。この現実は、楽団に危機感を募らせた。

 いずれこうした事態に至るであろうとは、事務局もユニオン執行部も1990年代からひそかに懸念していたことだった。8億円の収入に対して支出が10億円という予算を組み札響基金を担保に借り入れを繰り返す経営や、春闘の妥結が秋になるといった労使関係には、もとより無理があった。

 現在ユニオンの副委員長を務める市川雅敏(ホルン、2011年現在)は、「楽員にも、楽団が苦しくても結局なんとかなるはずだ、という根拠のない思い込みがあった。しかし拓銀破綻(97年11月)のあとでは、これはもしかしたら本当に大変なことになる、という思いが強くなっていった」と語る。

 2002年10月、毎日新聞が北海道版で、札響は財政難で存続の危機にあると報道して一般にも知られるところとなり、メディア各社も一斉に報道を展開した。財団法人札幌交響楽団の所管官庁である北海道教育委員会からは、96年に購入していたアルゼンチン国債の運用や一部の決算書類の不備について、改善を求める行政指導が行われた。

 楽団内には強い危機感が共有され、理事・評議員の合同会議には事務局から、楽員・事務局員の人件費削減を柱とした再建計画案が示された。

 12月26日の「札響の第9」はベートーヴェン交響曲全曲連続演奏会の最終回。リハーサル初日の24日、クリスマス・イヴの日の練習後に楽員集会が開かれ、楽団の今後についての話し合いが夜遅くまで続けられた。もしかしたらこれが最後の「第9」になるかもしれない―楽員たちにはそんな思いがあった。

 演奏会当日、開演を前にして、女性奏者4人によるロビーコンサートが開かれた。これまでは来場者の動線を妨げるという管理上の理由からKitaraでは許されていなかったが、楽員が誘導を行うことを条件に、ユニオンがホール側を説得し、初めて実現したものだった。コンサートの楽しみをさらにふくらませ、楽員と聴衆との接点を増やそうという狙いだった。

 そうして迎えた本番。楽団存続の危機は定期会員も深く憂えるところで、この日の「第9」は、楽員と聴衆の思いが重なった忘れがたい演奏となった。この日の演奏は自主製作のCDとして発表された。

 年の瀬には、楽員が手分けしてメッセージを書いた年賀状1100枚あまりが、定期会員に送られた。これも、危機感から発した初めての取り組みだった。年賀状と暑中見舞いを送ることは現在も続けられている。

 
 

2003年

 1月、真貝裕司委員長率いる札響ユニオンは、事務局が提示した経費削減案12項目の受け入れを決定。楽員・事務局員を合わせ、年間4500万円の人件費が削減されることになった。経営改善に向け、単年度収支を均衡させるためには03年度予算で7800万円の経費削減が必要であり、人件費削減のほかには、欠員の出た楽員の補充見送り、休暇日数の削減、旅費規定ほか内部規定の手直しなどが行われた。退職金の減額もやむを得なかった。

 

 FM北海道は2月、特別番組「札響スペシャル~団員からのメッセージ」を放送。楽員や事務局OBのメッセージや、創設期や「札響創立40周年 英国公演記念演奏会」の音源などを放送して、札響再建を広く訴えた。

 年明けからの定期演奏会では久方ぶりにアンコールも演奏された。

 02年度の決算は、演奏会数が96回に留まって収入は予算を下回り、組織改革に伴う退職金の支払いもあって1億1500万円の赤字を計上。累積赤字は5億6000万円にまでふくらんだ。

 

再建への取り組み

 

 4月、事務局は体制を刷新する。北海道新聞社から専務理事に就いた佐藤光明はまず、楽団の内外に向けて2つのスローガン、「札響は変わります」と「いつも道民のそばにある札響」を掲げた。佐藤専務が強調したのは、すべてにおいての「楽員主体」の精神だった。そのために事務局とユニオンの間で、財務から事業計画に至るまでの透明化と情報の共有化が図られていく。

 事務局とユニオン(田中徹委員長)は議論を重ね、次の3つの重点施策を打ち出した。すなわち、「演奏力のさらなる向上」「教育への参加」「社会貢献」である。

 北海道にただひとつのプロオーケストラとして札響がすべきことは何か、札響にしかできないことは何か。質の高い演奏によって地域社会とさらに深く広く関わっていく先にしか札響の未来はない―さまざまな話し合いを経て全楽員・事務局員はこうした思いを共有していった。

 

 事務局は新たな取り組みとして、「札響ポップスコンサート」の創設、新しいロゴマークとキャラクターの制作、定期演奏会でのロビーコンサートとアンコール演奏といった新機軸を打ち出す。楽員のテレビやラジオへの出演も積極的に図られた。

 小学校などを訪問しての「音楽創造体験プログラム」も新たにスタート。これまでのノウハウに欧米の手法などを取り込みながら、楽員有志がプロジェクトを組み、子どもたちが深く楽しく音楽とふれあうための取り組みがなされ、養護施設などへの訪問演奏も行われていく。これらは重点施策である「教育への参加」と「社会貢献」の実践だった。

 

 2003年度の予算は約9億1000万円で、前年度比15%減となった。また事務局に北海道、札幌市、JR北海道、ホクレン、北洋銀行から(05年度からは北海道銀行も)1人ずつの出向を受け、態勢の強化を図った。人件費は出向元の全額負担。手薄だった事務局は、これにより11人から17人に増強された。

 指揮者陣では4月、尾高の意向で正指揮者に高関健が就任。秋山時代の88年から4年間専属指揮者を務めて以来の再登場で、2人で再建を率いることとなる。4月定期に登場した高関は、スメタナの連作交響詩『我が祖国』全曲を披露した。そして5月定期では、尾高がマーラーの交響曲第9番に挑んだ。

 

 7月、FM北海道とのタイアップで「札響ポップスコンサート」初公演。小松長生指揮による3部構成で、Jポップや映画音楽、テレビ主題歌などが演奏された。3部では前もって募集されたリクエスト曲が大きな拍手を呼ぶ。敷居が高いクラシック音楽のイメージを打ち破るという狙い通りに、定期演奏会や名曲コンサートとは違うファミリー層が訪れてチケットは完売となった。

 

2003年7月23日開催 日本製紙PRESENTS
札響ポップスコンサート Vol.1(公演チラシ)

 

 またこの月、もうひとつ新たな名物がスタートしている。JRタワー1階西コンコースに置かれた彫刻「妙夢(みょうむ)」(作:安田侃(やすだかん))の前での「妙夢コンサート」である。これはJR北海道と札幌駅南口開発(現札幌駅総合開発)が、この年3月のJRタワー開業にちなみ、市民と札響とのふれあいを広げようと始めたものだった。楽員の生演奏がストリートライヴのように楽しめるとあって、今日では札幌都心に欠かせない音楽イベントとなっている。同じ趣旨の駅コンサートは、このあと9月に函館駅でも行われた。

 8月、定期会員数が1744人と過去最高を記録した。わずか半年前の2月に1000人を割っていたことに照らすと、再建は進んでいると言えた。また法人の維持会員も、事務局の総力を上げた取り組みによって、02年度末の143社から208社へと急増していた。

 この8月、翌春の札幌移転を控えたプロ野球の日本ハムフィターズ(現北海道日本ハムファイターズ)が新たな本拠地となる札幌ドームで6連戦を行った際、札響金管アンサンブルは初戦の試合前に登場してファンファーレを演奏し、喝采を浴びた。この月、楽団の新しいTシャツが発表され、ファンに販売するほか、野外コンサートなどで楽員も着用することが決まった。

 10月、事務局総務部長に小松将身(こまつまさみ)が就任した。前職はPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)組織委員会の財務・経理担当だった。

 小松は、「90年代の末から、拓銀(北海道拓殖銀行)が破綻し、雪印(乳業)も一連の不祥事で再編され、北海道を象徴するような企業がどんどん倒れてしまった。そのうえ文化の発信元としての札響が立ちゆかなくなったなら、北海道はどうなってしまうんだろう。そんな率直な気持ちがあった」と言う。

 小松は過去の問題点を根底から洗い出しながら、時代の流れに対応し切れていなかった経理システムを全面的に再構築していった。

 「入った当初は、事務局内部と楽員との連携もバラバラ。経理上も途方に暮れるような負の遺産が山積みでした。でも針路も目標もはっきりと見えている。後ろを振り返るよりも、とにかく前に進みました。そして前職との比較から見えてきたことがあったのです」と言う。「PMFオーケストラは年に一度のフェスティバル・オーケストラですが、札響はいつも地域と共にあるオーケストラ。まちの人に本当に大事に思ってもらうためには、全員がひとつになって地域にしっかり根差した活動が欠かせません。札響には札響にしかできないことがある。そう実感したのです」

 

 10月には日本では北海道だけに生息する海鳥エトピリカをモチーフにしたマスコットキャラクターが発表され、愛称の一般募集が始まった。エトピリカは、アイヌ語で「美しいくちばし」の意味。美しい響きを発する北海道ならではのくちばしであることを札響の活動に託したもので、12月、愛称は「ピリッキー」に決定した。

 またこの10月からは、元大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長で音楽プロデューサーの宮澤敏夫が定期演奏会の都度札幌を訪れて、嘱託の立場で尾高や事務局と議論を重ねていく。宮澤は、「尾高の音楽監督就任」や「定期演奏会の2公演化」、そして「音楽教室では必ず尾高か高関が直接指揮を担うこと」などを提案した。

 

 11月には、中学・高校の吹奏楽部員へのアプローチを図る「札響ブラスプロジェクト」が立ち上がる。管楽器の楽員のほとんどは部活動の吹奏楽部出身でもあり、吹奏楽に打ち込む若者たちの目と耳をオーケストラにも向けさせようという狙い。これまでも行ってきた公演地での訪問指導などが、いっそうシステム化されていった。

 

 12月、北海道国際音楽交流協会(ハイメス)の創立15周年を記念して作曲された合唱入りの北海道讃歌、交響曲『北の大地』演奏会がKitaraで開かれた。河邨文一郎作詞、栗山和樹作曲で、北海道の大地をイメージして作られた壮大な楽曲である。

 この年末、東理事長が健康上の理由で退任し、後任に菊池育夫北海道新聞社社長が就いた。理事会では経営再建が順調に進んでいることが報告され、菊池はトップセールスで冠コンサートの企画を次々に実現させるなど、財務強化をリードしていく。

 

■ミニコラム 国際音楽の日

 10月1日は「国際音楽の日」。「世界のすべての人々が憎しみを愛に変えるように努め、暮らしの中の音楽のすばらしさを認識する機会を与えられるようにしよう」という理念のもとに定められている。

 1975年、ユネスコの国際音楽評議会(IMC)による最初の世界音楽週間がカナダで開催された折にIMC会長ユーディ・メニューイン(ヴァイオリニスト、指揮者、1916-1999)が提唱。77年にIMC総会で可決され、翌年から各国で普及のための事業が開かれている。

 日本では94年11月に音楽振興法が制定され、96年から「国際音楽の日フェスティバル」(文化庁、同実行委主催)が全国各地で開かれている。「2003 in 北海道」は10月1日に札幌コンサートホールKitaraで行われたオープニングコンサートで開幕し、11月21日までの期間中に、旭川、函館、北見など11市町でクラシック、邦楽、民謡などの演奏会、記念フォーラムなどが行われた。

 

2004年

 1月、ホテル・ロイトン札幌で、「札幌交響楽団ニューイヤーコンサート&新年交流会」が開かれた。コンサートホールの外で会員や音楽ファンとの接点を開こうと初めて企画されたもので、短いコンサートのあとの懇親会では、楽員と参加者の間で、演奏会場では持てない打ち解けた交流のときが続いた。

 2月定期では、エルガーの未完の交響曲第3番(アンソニー・ペイン補筆)が尾高の指揮で国内初演され話題を呼んだ。尾高はこの曲を前年BBCウェールズ交響楽団を指揮して2度演奏し、ペインからも評価を受けていた。

 3月、コンサートマスターの田島高広がドイツ留学のために退団。コンサートマスターは再び大平まゆみ1人体制となる。

 

 03年度の決算は、事務部門の効率化や営業努力でようやく収支均衡を達成し、当面財政破たんは回避された。しかし累積赤字5億6000万円は残っている。年間収入の半分近くを占める国、道、札幌市からの補助金4億3100万円(03年度)は減額されていく可能性が高く、人件費のさらなる圧縮は避けられない。04年度に向け、給与改定と退職金減額を柱とする人件費削減案はユニオン(田中徹委員長)に苦渋と共に受け入れられた。高齢者の昇給幅を圧縮する一方、若年層は底上げし、退職金は減額された。

 破綻の縁からはい上がったことを当時ユニオン書記長だった荒木均(チェロ)は、「誰かリーダーがみんなを引っ張ったのではなく、尾高さんをはじめすべての楽員と新しい事務局が全員野球で取り組んだからこそできた」と言う。

 「4割近い財源を公的助成に頼っている我々には活動に常に公益性が求められていること、お客さんに近づいていくと向こうも我々に近づいてくれること。そんな当然といえば当然の事実を楽員全員が深く再認識できたことは意義深かった」と述懐する。その一方、「演奏家の仕事や生活条件に関わるユニオンとしての主張は、絶やしてはならない。それらはすべて、つまるところ良い音楽を奏でるためにあるのですから」と続ける。これもまた、ユニオンが自らの痛みとともに再確認できたことだった。

 

小6全員にコンサート

 

 2004年4月、札響への民間ボランティア組織「ピリッキー」(会長:畠山俊一)が約50人で発足した。ダイレクトメールの発送やチケット販売など、裏方として事務局業務を支援する。募金活動、楽団グッズの開発と販売、CD販売なども行うという、ファンクラブから一歩進んだ活動団体を目指した。受けた寄附金や売り上げは、札響への寄附や青少年向けの座席買い上げに充てるほか、楽団と連携して新たなグッズの製作費にも使う。ピリッキーは楽団と覚書を交わし、楽団本体以外で札響のために寄附金を取り扱う唯一の団体となった。

 

2004年8月 札響ボランティア「ピリッキー」との業務提携の調印式(左:畠山俊一「ピリッキー」会長、右:西村善信札響専務理事)

 

 4月定期は、尾高の指揮によるラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(ピアノ:小山実稚恵)、ショスタコーヴィチの交響曲第5番。初の試みとして、前日のKitaraでのリハーサルが公開された。

 5月定期では指揮の下野竜也がチェコの首都プラハを主題にプログラムを組み、首席奏者廣狩亮が独奏を担ったバルトークのヴィオラ協奏曲にとりわけ高い評価が寄せられた。

 またこの月には札響と高校生選抜による「札響シンフォニック・ブラス・コンサート」(指揮:下野竜也)がスタートした。第1部は吹奏楽で、吹奏楽コンクールの課題曲も含めた曲目を演奏。後半は管弦楽曲でプログラムを編成し、吹奏楽を入り口にして管弦楽に導いていく趣向である。後半では中学生の奏者もステージに立ち、若い才能たちの、音楽へのさらなる動機づけを図った。

 

 5月、経営再建上の最大の懸案である5億6000万円の累積赤字を札響基金取り崩しで解消させることが理事会で決定された。この時点で基金残高は約8億3000万円。役員も含め、札響は総力で出資先の理解を得ることに努め、基金の取り崩しをもって累積赤字を解消することができた。

 再建に目途が立った6月の理事会では、理事22人のうち半数の11人が交代となった。広範囲な改革に着手した佐藤光明専務理事の後任には西村善信が就いた。西村は、それからほぼ1年をかけて事務局の全業務の洗い出しを行い、業務の再編と最適化を進めていく。

 西村は、札響が直面した経営危機は、地域社会の中でのプロオーケストラの成り立ちそのものを問い直すことにほかならなかったと総括しながら、「行政や企業、会員の皆さまなどからの支持を背景に、尾高、高関両氏による音楽面で盤石のリードがあった。そこから楽員と事務局が真に一体となった立て直しができた」と語る。この根本的な再生が、のちの公益財団法人化への道筋を作ることになる。

 

 5月1日、ミュージック・アドヴァイザー/常任指揮者の尾高忠明が音楽監督に就任した。札響が音楽監督をいただくのは岩城宏之が桂冠指揮者に転じて以来16年ぶりで、再建とその先の針路づくりに取り組む尾高・札響の姿勢が強くアピールされることになった。

 北海道新聞のインタビュー(2004.6.4夕刊)で尾高は、「この1年、事務局も楽団員も僕も無我夢中で走り、どうにかいい方向に動いています。その最中、監督を勧められました。『よし、ここを乗り越えるためにやったろうじゃないか』と心に決めました」と答え、経営危機に直面して「札響は一つ進歩しました。音は今が一番きれいですよ。今以上、音にスケール感が出てくればいいと思う」と続けた。

 尾高はそれまでにも国内外のオーケストラで監督就任を打診されたことがあったが、監督と楽員という上下関係に違和感を抱き、受けてこなかった。今回の就任に当たって尾高は楽員たちに、「今までもいい仲間だったけれど、これからは家族になろうよ。いい家族だったらお互い嫌なこと、厳しいことも言わなければならない時もある。でも良いことがあったら家族の喜びは仲間以上に強い、そういうふうになりたい」と語りかけた。

 またこの6月、JR北海道は、特急列車のグリーン車座席のイージーリスニング・チャンネルで、札響の演奏CDを流すサービスを始めた。

 

2004年7月23日 カルチャーナイトに出演(北海道庁赤レンガ)

 

 7月、尾高が指揮台に立った第2回「札響ポップスコンサート」は、チケットがひと月前に完売となる好調ぶり。映画音楽からロックグループ・クィーンの名曲までを網羅したプログラムは、寄せられたリクエストをもとに、楽団員らでつくる企画委員会と尾高が選曲したものだった。

 7月にはまた、かねてから尾高や事務局と楽団の針路について議論を交わしてきた嘱託の宮澤敏夫が事務局に加わった。8月には事務局長に就任し、01年3月以来空席だった事務局長のポストがようやく埋まった。

 宮澤はコントラバス奏者出身で楽員ユニオンからオーケストラ事務局までに精通している。札響の真の再生は音楽の成長でしかかなえられないという信念を持ち、オーケストラは広義のサービス業であり、そのためには楽員が意欲と誇りを持って日々の活動に打ち込める環境が不可欠だと強く思っていた。宮澤は、破綻の危機以来のアンサンブル活動の重点を、PR活動よりは、あくまでも音楽に根差し、演奏のグレードを高めていくことに置いた。

 楽員と事務局の連携の円滑化を図るために、翌05年には元打楽器奏者の吉岡幹雄を新設ポストのパーソネルマネージャーに任じた。さらに、首席奏者たちをいっそう積極的にソリストに起用する方針を打ち出し、定期会員をはじめとしたファンの支持を集めて、楽員のモチベーション上昇と入場者増加の両面で成果を上げていくことになる。

 宮澤は、「失ったファンは、良い音楽を作り出すことで必ず戻ってくる。そしてオーケストラは生き物。ひとつのきっかけでダメになってしまうこともある。どんなときでも緊張感をなくしてはならない」と語る。

 楽員と事務局の関係をめぐって宮澤は、ことは札響だけの問題ではなかったと振り返る。

 1970年代初めから日本のプロ・オーケストラに続々とユニオンが生まれ、力をつけていった。宮澤は、「ユニオンの委員長と事務局トップの両方務めた自分にはよく分かることだが、事務局がユニオンとの緊張関係に萎縮してしまうようだと、楽団の成長はおぼつかない。札響の危機の源はそこにあったわけだし、今にして思うとそれは、日本のオーケストラが負った不幸な歴史だった。双方がそのことに気付いて楽団を立て直した我々は、大きな学びを得た」と言う。

 事実80年代までに道内全域に築いてきた各自治体や音楽団体との強い結び付きは、90年からこの時期にかけ、事務局とユニオンの齟齬を遠因として急速に衰えていた。事務局はそこから、関係修復と新たなネットワーク作りに奔走していくことになる。

 

2004年11月28日 札響名曲シリーズ2004 Vol.3「北の音楽物語・ペール・ギュント」終演後のお見送り(札幌コンサートホール)

 

 11月、「Kitaraファーストコンサート」が始まった。札幌市立小学校・養護学校の6年生全員にKitaraで札響の生演奏を聴いてもらう取り組みである。

 対象は200校ほどの約1万5000人で、10回の公演を行う。札幌市は予算に開催経費3300万円を新たに組んでいた。

 札響はこの事業に対して、必ず常任指揮者の尾高か正指揮者の高関が指揮台に立つこととした。みずみずしい感性を持つ子どもたちに、楽員が真剣に音楽と向き合い汗をかく姿を見せる狙いからである。

 ひとりひとりを大切なお客様として遇し、児童はチケットのもぎりや場内案内など、一般の公演と同じようにレセプショニストのサービスを受ける。

 スタートから7年。約10万人の参加を積み上げた現在では、ときに自然にスタンディング・オベーションが起こるなど、このコンサートは札幌の小学校に確実に根差すものとなっている。

 近未来のファンである子どもたちへのアプローチには、教育プログラムの強化もある。総合学習の時間に楽員が出向いて音楽の楽しさを教えるワークショップを拡充し、市外公演先では吹奏楽の指導や、できる限り福祉施設などでの演奏も組み込んでいくこととした。

 

 12月、「ほくでんファミリーコンサート」が400回を迎えた。Kitaraでの記念コンサートでは『千と千尋の神隠し』のテーマなど家族向けのプログラムが演奏された。

 

■ミニコラム 「シェフ」がずらり 定期演奏会への指揮者登場数

 2011年6月まで全539回の定期演奏会での指揮者の登場回数上位には、音楽監督、常任指揮者、正指揮者、首席客演指揮者など、名称は違っても「シェフ」として長年札響を率いてきた人たちが並ぶ。5回以上の人たちは次の通り(かっこ内の数字は初登場年)。

 68回=尾高忠明(1975年)/60回=荒谷正雄(61年)/53回=岩城宏之(64年)/43回=ペーター・シュヴァルツ(69年)/41回=秋山和慶(68年)/28回=高関健(88年)/11回=山田一雄(69年)、井上道義(76年)/10回=渡辺暁雄(66年)、小泉和裕(75年)/8回=山岡重信(68年)/7回=外山雄三(77年)、山下一史(87年)、円光寺雅彦(93年)/5回=飯守泰次郎(65年)、朝比奈隆(69年)、ズデニエック・コシュラ―(72年)大町陽一郎(76年)、小林研一郎(79年)、堤俊作(88年)、広上淳一(94年)、ラドミル・エリシュカ(2006年)

 尾高(在任18年)が68回でトップ。初代の荒谷は在任(7年)中の公演が58回、2代目のシュヴァルツ(6年)は42回でそれぞれ期間中の75%と65%を占め、指揮者と札響の密度が濃かった。岩城(13年)の54回中には就任前と桂冠指揮者時代のものも多い。

 

2005年

 2月定期は、尾高によるブルックナーの交響曲第8番。1991年にペーター・シュヴァルツと演奏して以来の取り組みだった。

 3月、すみだトリフォニーホール(東京)で開館初年度の1998年3月から回を重ねている「地方都市オーケストラ・フェスティバル2005」に初参加。尾高の指揮によってオール・シベリウス・プログラムを演奏した。札響の演奏に先立って札幌コンサートホール専属オルガニスト、マテュー・マニュゼスキによるプレ・コンサートも開かれ、札幌の音楽の息吹を首都圏の音楽ファンにアピールすることができた。

 

定期の2公演化

 

 会員の順調な増加を背景に、高齢者や勤め人など平日の夜に来場しにくい人にも聴いてもらう機会を増やそうと、2005年4月から定期演奏会を2日制にした。同じ内容の演奏会を金曜日の夜(A公演)と土曜日の午後(B公演)に開くもので、それはまた、同一プログラムによる本番の回数を増やすことで演奏力のさらなる向上を目指す取り組みでもあった。

 これに伴い、以前からの定期会員はA公演かB公演かを選んだ。札響ボランティア「ピリッキー」は、ライオンズクラブなどからの寄附金で買い上げたシートを子どもたちプレゼントする取り組みを、午後公演を中心に拡大させた。

 金曜夜公演の開演時間は長く続いていた午後6時45分を7時に繰り下げ、土曜日の午後公演は、高齢者でも日中安心して来られ、札幌市外のファンが日帰りできるように、午後3時開演とした。

 その最初の定期は、尾高の指揮で尾高惇忠「オーケストラのための『肖像』」、ラフマニノフ『パガニーニの主題による狂詩曲』(ピアノ:ウラディーミル・フェルツマン)、チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』。前日の公開リハーサルには600人以上の入場者があり、定期2日目の昼公演には過去最高となる1832人が来場して幸先の良いスタートとなった。

 このときから始まった定期演奏会開演前のロビーコンサートは札響の名物となった。また、トランペットの首席奏者に福田善亮(ふくだよしあき)(前東京都交響楽団首席奏者)、チェロの首席奏者に石川祐支(いしかわゆうじ)(前東京交響楽団首席奏者)が入団。今日の札響サウンドを支える2人が楽団史に登場する。

 

ロビーコンサート(札幌コンサートホール) 撮影:佐藤雅英

 

 5月の「札響くらぶコンサート 札響と遊ぼう」では、テューバの玉木亮一がヴォーン=ウィリアムズのテューバ協奏曲、コントラバス首席の助川龍がクーセヴィツキーのコントラバス協奏曲(第2・3楽章)でそれぞれソリストを務め、Kitaraに詰めかけた市民を喜ばせた。

 6月、コンサートマスターに伊藤亮太郎が就任。大平と2人体制となった。

 8月には、訃報。札響評議員を長く務め、ファン組織札響くらぶの立ち上げや札幌コンサートホール建設への市民運動を率いた山科俊郎(北海道大学名誉教授)が、がんのために死去した。71歳だった。

 9月、音楽監督尾高忠明が札幌にも居を構えた。札響の指揮者が札幌に暮らすのはペーター・シュヴァルツ以来33年ぶりのことだとニュースになった。

 この月、初の韓国公演をソウルと大田(テジョン)で行い、尾高音楽監督以下約100人が韓国の地を踏んだ。これは「日韓友情年2005」事業の一環として、ソウル国際音楽祭から招待を受けたもの。大田公演は札幌、大田両市の経済交流が深まっていることから実現したもので、両市は2010年に姉妹都市提携を結ぶことになる。

 韓国のピアニスト、キム・デジンを迎え、プログラムはラフマニノフのピアノ協奏曲第2番と交響曲第2番。両公演ともスタンディング・オベーションが出て、感情をストレートに表出する国民性の違いを楽員と関係者に実感させた。またツアーには菊池育夫理事長、藤田久雄副理事長(ホクレン肥料社長)、坂本眞一副理事長(JR北海道会長)、藤田恒郎理事(札幌観光協会会長)らも同行。ソウル市内で「ウェルカム北海道キャンペーン」を行って北海道観光をPRし、札響は北海道の観光大使としての役を果たしたことともなった。帰途、福岡と東京でも同じプログラムによる公演を行った。

 

ソウルでのロビーコンサート

 

2005年9月29月 札幌交響楽団韓国ソウル公演(ソウル・アーツ・センター) 尾高忠明(指揮)

 

■ミニコラム 「音楽教室」への貢献 全演奏会への指揮者登場数

 全演奏会についての指揮者の登場数を見ると、定期演奏会とは全く異なる結果となった。

 他の追随を許さない数字を示しているのは佐々木伸治で、その数、実に727回。50年間の全5486回の13%を占めており、1990年までの30年間では演奏会数の24%に達している。フルート奏者として在団中から音楽教室を長年指揮してきたことの結果で、末廣誠の303回も札響指揮者在任の4年間を中心に音楽教室を指揮してきたことが大きい。

 そのほかの指揮者を見ると、尾高忠明442回、ペーター・シュヴァルツ281回、高関健236回、荒谷正雄205回、岩城宏之180回、円光寺雅彦175回、堤俊作143回、小松一彦137回、秋山和慶116回となっている。(2日制の定期演奏会は2回に数えている)

 

2006年

 1月、「小樽札響ニューイヤーコンサート」がスタート。前日に行われた「えべつニューイヤーコンサート」と同じく、トランペット首席の福田善亮が、レオポルト・モーツァルトのトランペット協奏曲でソリストを務めた。

 2月の定期は、尾高による没後10年のオール武満プログラム。『ア・ストリング・アラウンド・オータム』ではヴィオラ首席の廣狩亮がソロを担い、演奏会の模様は11月にNHK-FM「日曜クラシックスペシャル」で全国放送された。

 3月、NHK札幌放送局は札響楽員が室内楽を演奏する5分間の音楽番組「ほっかいどう音楽紀行」を制作。スタジオでの演奏風景と道内の大自然の映像を組み合わせてまとめられた7本が、1年間にわたり随時放送された。

 4月には札響合唱団の募集が始まった。創立50周年に向けた記念事業で、当初の規模は50人程度。小規模でも精度の高い合唱団を目指したもので、合唱指揮者は、声楽家で合唱指導にも豊富な経験を持つ長内勲。

 

「札響合唱団」のオーディション(札幌大谷大学)

 

2006年9月「札響合唱団」の初練習(札幌コンサートホール大リハーサル室)

 

 6月、前音楽監督で桂冠指揮者の岩城宏之が東京で死去。73歳。札響との最後の協演は05年6月定期で、ストラヴィンスキーのバレエ音楽『火の鳥』(全曲)ほかだった。

 7月のPMFでは、札響は「トリビュート・トゥ・タケミツ」と題した公演に出演。尾高の指揮のもと、約40人のPMFアカデミー生が札響に加わり、オール武満プログラムに取り組んだ。リハーサルから本番まで、武満の世界を学ぶには最良の指揮者とオーケストラを得て、アカデミー生にも大きな収穫となった。それはまた、札響とPMFの関わりが新たな段階に進んだことを示していた。

 

 8月には、NHK教育テレビの子ども向け番組「ゆうがたクインテット」で人気の作曲家宮川彬良(みやがわあきら)による、未就学児を対象とした「アキラさんの大発見コンサート」の第1回公演。1日2回公演のチケットは完売となり話題を呼んだ。

 

2006年8月3日 「アキラさんの大発見コンサート2006」終演時のお見送り(札幌コンサートホール)

 

 この月、第2ヴァイオリンの首席奏者として、海外での演奏や地域へのアウトリーチ活動などにも豊富な経験を持つ大森潤子が入団している。

 9月には、札響合唱団の設立総会(札幌市民会館会議室)を開いた。

 10月と11月の定期には、ソリストにホルンのラデク・バボラーク、フルートのエマニュエル・パユとベルリン・フィルの首席奏者が続き、盛況となった。11月は2公演化してから初めてチケットが完売となった。

 また10月の名曲シリーズでは、ギュンター・ピヒラーの指揮のもと、コンサートマスター伊藤亮太郎がメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のソリストとして登場した。

 

エリシュカとの出会い

 

 2006年12月定期、チェコのラドミル・エリシュカの初登場は、近年の札響史に特筆される、指揮者と楽員の幸福な出会いとなった。プログラムは、スメタナの交響詩『我が祖国』より「ボヘミアの森と草原から」、ドヴォルジャークの交響詩『金の紡ぎ車』、リムスキー=コルサコフの交響組曲『シェエラザード』。音楽ジャーナリストの岩野裕一は北海道新聞への寄稿(2006.12.27)で、「間違いなく日本のオーケストラ史に残る名演」と評価した。エリシュカが札響から紡ぎ出す音楽は、Kitaraの聴衆とともに楽員たちをも魅了していた。

 

2006年12月8月 第494回定期演奏会(札幌コンサートホール) ラドミル・エリシュカ(指揮)

 

 12月25日・26日の2日間にわたった「第9」(指揮:尾高忠明)では、合唱団の中心として札響合唱団がデビューを果たし、喝采を浴びた。この年末、定期会員がついに大台を超え、2003人となった。

 

■ミニコラム ブラームスがお好き? 定期演奏会の曲目別演奏回数

 定期演奏会での曲目別演奏回数を上位から並べると次のようになる。

  • 15回=ブラームス/交響曲第4番
  • 14回=ブラームス/交響曲第2番
  • 13回=ベートーヴェン/交響曲第3番「英雄」、ベートーヴェン/交響曲第7番、チャイコフスキー/交響曲第5番
  • 12回=ブラームス/交響曲第1番、チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」、シューマン/ピアノ協奏曲
  • 11回=ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」、ブラームス/交響曲第3番、ドヴォルジャーク/交響曲第8番、
    ベートーヴェン/「エグモンド」序曲(全曲演奏を含む)、シベリウス/交響曲第2番、
    ストラヴィンスキー/バレエ「火の鳥」(各版合計)
  • 10回=ベートーヴェン/交響曲第5番「運命」、ドヴォルジャーク/交響曲第9番「新世界より」、
    シューベルト/交響曲第8番(旧第9番)「ザ・グレイト」、チャイコフスキー/交響曲第4番、
    チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番、ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲

 ブラームスの交響曲4曲が高位にいるが、集中的な演奏は秋山和慶指揮(1996-97年、CD化されている)のみである。全4曲を演奏した指揮者もほかに荒谷正雄、岩城宏之の2人だけで、均等に上位入りしているのは多くの指揮者によって広く取り上げられた結果だ。

 ベートーヴェンの交響曲では上から順に第3番「英雄」と第7番、第6番「田園」、第5番「運命」。少ないのは第2番と第8番(各5回)、第1番(7回)、第4番(8回)。なお第9番「合唱つき」は67年までは12月定期で、以降は特別演奏会で演奏。

 
 

2007年

 1月19日、耐震強度不足のため3月で閉館される札幌市民会館で「さよならコンサート―札響特別演奏会」が開かれた。プログラムは、札響の歴史を開いた第1回定期演奏会プログラム1曲目のモーツァルト『フィガロの結婚』序曲のほか、ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』、ドヴォルジャークの交響曲第9番『新世界より』(指揮:尾高忠明)。客席には第1回定期演奏会に出演した元団員たちも招かれ、演奏会の最後に紹介されて市民からの拍手を受けた。

 

2007年1月19月 札幌市民会館さよならコンサート-札響特別演奏会(札幌市民会館) 尾高忠明(指揮)

 

 尾高の指揮による2月定期では、パヌフニク『祭典交響曲』と、石川祐支がソリストを務めたショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番に注目が集まった。

 3月には、創立45周年を記念して製作するCD2枚の録音がKitaraで行われた。1枚はドヴォルジャークの交響曲第8番と交響曲第9番『新世界より』。もう1枚は、エルガーの交響曲第3番と行進曲『威風堂々』第6番。『威風堂々』第6番も札響が国内初演した交響曲第3番同様に未完の作品をアンソニー・ペインが補筆して完成させたもの。ドヴォルジャーク盤は11月に、エルガー盤は翌08年4月に英国のシグナムレコードから世界発売され、後者は英国航空の機内エンタテインメントにも採用された。

 

定期演奏会500回を達成

 

 2007年4月、NHK札幌放送局制作のテレビドラマ「雪あかりの街」の音楽を札幌芸術の森アートホールで収録(作曲:小六禮次郎、指揮:尾高忠明)。5月の理事会では、前年12月に初協演して大成功を収めたチェコの指揮者、ラドミル・エリシュカを次年度から首席客演指揮者に招くことを決めた。

 6月定期は、500回の記念演奏会。プログラムは、大合唱団を擁するマーラーの交響曲第2番『復活』。アルトにはビルギット・レンメルトを招いた。エキストラを含めて楽員120人。合唱団は札響合唱団、札幌アカデミー合唱団、札幌放送合唱団の総勢157人。これにオルガニストが加わる。この月の公演は特例的に土曜日と日曜日に行われ、日曜日の演奏は、NHK-FMで生放送された。この回で尾高は定期演奏会を指揮した数が53回となり、岩城宏之と並んだ。この時点までの最多は荒谷正雄の60回。

 

 10月定期では、指揮者ネヴィル・マリナーが札響初登場、20代のアラベラ・美歩・シュタインバッハーをソリストに迎えたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲が好評。

 11月には3人目のコンサートマスターとして三上亮が入団して3人体制となった。三上は米国、スイスなどで研鑽を積み、この年の夏に帰国した俊英である。

 12月定期はゲルハルト・ボッセによる、05年1月のオール・モーツァルト・プログラムに続いての、オール・ハイドン・プログラム。トランペット協奏曲では首席奏者の福田善亮がソリストを務めた。

 この年、定期演奏会(10回20公演)の総入場者数は2万9320人に達した。

 

定期2公演化の手応え(2005年9月定期演奏会プログラムから=肩書は当時)

竹内 愛(ヴァイオリン奏者)、土井 奏(ヴァイオリン奏者)、三瓶佳紀(クラリネット奏者)、森 圭吾(首席フルート奏者)

 

 この春から定期演奏会が2公演となり、3回(6公演)をこなしました。春のうちは、昼の公演にお客さまがどのくらい来ていただけるか、少し不安でした。でもふたを開ければ、夜よりも昼公演の方が多くお客さんが入っています。当日券で楽しまれる方がたくさんいることは、われわれの狙いが当たりましたね。

竹内 昼公演では、女性や小中学生の顔が目につきます。だから客席の雰囲気も少しやわらかい感じがします。

土井 2公演になって、初日が終わってももう1日ありますから、バカ飲みができなくなりました。そのかわり2日目が終わったあとの解放感は大きいです。

 酒を飲まない僕としては全く理解できない世界だな(笑)。

三瓶 初日の夜が終わって、2回目は夜ではなく昼ですから、ちょっと間隔が短い。良い緊張をキープするのには、ちょうど良いインターバルかもしれません。弦の人は出ずっぱりで、弾きっぱなしですが、体力的にどうですか?

竹内 大丈夫ですよ。2公演の良いところも実感として分かってきました。前日ちょっと納得いかなかったところを2日目に修正したり。会員の方には、2日間ともいらっしゃる方が100人以上いらっしゃるそうですね。ステージからも分かります。あの方夕べもいらしたな、って。1回ごとに演奏はおのずと違いますから、その違いを味わう楽しみもあるでしょう。初日は、リハーサルで仕上げたものを本番でどう表現するかに集中します。つまり心地よい緊張感がある。そして2日目は、初日にできたことの上に立っていますから、少し余裕というか自由がある。

 僕も、ぜひ2日とも聴いてください! と言いたいです。2日とも聴いたある方が僕に、全然違うオーケストラに聞こえたよ、と言っていました。初日と2日目のどちらが良いかなんて、決められません。僕が会員だったら、絶対に2回とも聴きます!(笑)

土井 演劇とかミュージカルでも、熱心なファンは何日も通いますよね。クラシックでもそういう楽しみが生まれるとうれしいな。

三瓶 自分の楽器(クラリネット)で言えば、例えば初日の天気が晴れで2日目に雨だと、コンディションが変わってしまうのでリードをチェンジします。クラリネットではオーボエほどの神経は使いませんが、そのあたりがリード楽器のむずかしいところ。だから、初日でうまく演奏できたリードは2日目も使いたいのですが、場合によっては使えない。大編成でめいっぱい吹く曲だと、初日でつぶれちゃうこともある。リードのそんな違いがわかるお客さんがいたらスゴイ!と思う。

 

■ミニコラム 「運命」vs「合唱」 全演奏会の演奏回数比較

 全演奏会での曲目別の演奏回数は定期演奏会とは傾向が大きく異なる。定期演奏会で上位にあった曲目の全演奏会での回数を出すと次のようになった(部分的な演奏を含む)。

 「運命」「新世界」が圧倒的人気で、「運命」は第1楽章だけの演奏が321回と全演奏回数の50%を占めている。ベートーヴェン「第9」は全演奏回数198回のうち単一楽章の演奏は3回(第1楽章1回、第4楽章4回)だけで、「運命」とは対照的だ。なおシューベルトの「未完成」は164回。

 全回数ではファミリーコンサートや音楽教室などでよく演奏される曲目が上位を占め、400回代にビゼー/カルメン、シベリウス/フィンランディア、チャイコフスキー/白鳥の湖、J. シュトラウスII/美しく青きドナウ、300回台にスッペ/「軽騎兵」序曲、チャイコフスキー/くるみ割り人形、モーツァルト/フィガロの結婚、ブラームス/ハンガリー序曲第5番が並んでいる。

 

2008年

 尾高が指揮した2月定期のメイン曲は、ブルックナーの交響曲第9番。日本初演(1950年)を成し遂げたのは尾高の父尚忠であり、尾高・札響の熱演はファンの期待に応えるものとなった。

 

 4月定期には首席客演指揮者に就任したラドミル・エリシュカが登場。ヤナーチェクの『タラス・ブーリバ』、ドヴォルジャークの交響曲第6番などを披露した。チェコ・ドヴォルジャーク協会会長を務めるエリシュカが伝えるチェコ音楽の神髄は、札響の新たな金看板となっていく。

 6月に根室で行った「音楽創造体験プログラム」は、2003年以来のこの取り組みを初めて札幌以外で行ったもの。根室青年会議所の招きに応えての開催で、小学5年生を対象に、クラリネットやトロンボーン、フルートなどの管楽器で表現した動物の鳴き声当てクイズを行ったり手拍子しながら歌ったりといった楽しい時間を持った。このほか介護老人保健施設でアンサンブルコンサートや、中高生の吹奏楽の指導も行った。

 7月のPMFでは尾高が客演指揮者の1人に名を連ねてアカデミー生の指導に参加し、創設者レナード・バーンスタイン生誕90年を祝うガラコンサートで、彼の交響曲第2番『不安の時代』を尾高が指揮する札響とPMFの合同オーケストラが演奏、尾高が目指してきたPMFとの関係改善が実現したことを内外に印象づけた。

 8月にはエリシュカが指揮した4月定期のライヴ盤CDが発売となる。収録曲はドヴォルジャークの交響曲第6番とヤナーチェク『タラス・ブーリバ』。

 

脚光浴びた『ピーター・グライムズ』

 

 2008年9月定期は、ブリテンのオペラ『ピーター・グライムズ』を演奏会形式で上演した。オペラ団体の公演でピットに入ることはあるが、定期でのオペラ演奏は1969年3月の團伊玖磨『夕鶴』以来39年ぶりだった。札響合唱団の成長などオペラに取り組む環境が整ってきたことから進められた、尾高・札響の挑戦だった。

 作品になじみが薄いことから、公演半年前の2月には「ピーター・グライムズへの道」というレクチャーをKitara小ホールで行った。これは公演のための合同合唱団(札響合唱団と札幌アカデミー合唱団、札幌放送合唱団による)発足のセレモニーも兼ねていた。講師は、公演で副指揮者を務める新通英洋(しんどおりひでひろ)。レクチャーには尾高と合唱指揮の長内勲も参加した。

 1週間のリハーサルを積んで臨んだ本番には首都圏などからも音楽関係者が多数訪れ、さながらKitaraが日本の音楽シーンの最前線のひとつとなった感があった。2日間にわたる公演の成功は、北海道の音楽史にも特筆される出来事になり、来札して上演を見守った英国ブリテン=ピアーズ財団ジェネラル・ディレクター、リチャード・ジャーマンからの讃辞も、楽員を勇気づけるものだった。

 この9月から小峰航一が首席ヴィオラ奏者として入団。ヴィオラ首席が廣狩亮との2人体制となった。

 11月は、尾高によるオール英国音楽プログラム。前半にヴォーン=ウィリアムズとディーリアス作品を組み、4月にCDが発売されたエルガーの交響曲第3番がメイン。同じプログラムで東京公演も行い、札響の英国音楽は高い評価を受けた。

 

エリシュカさんとの衝撃のリハーサル(2008年3月定期演奏会プログラムから=肩書は当時)

石原ゆかり(ヴァイオリン奏者)、小笠原優子(ヴァイオリン奏者)、森 圭吾(首席フルート奏者)

 

石原 4月から首席客演指揮者に就任されるエリシュカさんのことを話しましょう。

 2006年の12月定期で僕たちは初顔合わせをしたわけだけれど、まず最初のリハーサルにびっくりした。たった一振りで、この人はとんでもなくスゴイ人だ、ってすぐ分かった。

石原 そうそう! あいさつもろくにしないうちに、いきなり「ボヘミアの森と草原から」(スメタナ『我が祖国』より)を始めたでしょう。でも最初の一振りで出た音に、ほんとに驚きました。いつもの札響とはまるで違う響きだったから。彼の体からあふれ出る音楽に、私たちが無意識のうちに反応したんですね。あんなこと、初めて。

 テンポが若かった! 曲にはそれぞれ固有の特別なテンポがあります。そのテンポで演奏すると俄然生き生きと輝き始める。彼はそれを知りつくしているし、そのために毎日トレーニングしていると思う。晩年のショルティが、120テンポ(注:1分間に120拍の速さ)を毎日1時間振って練習していたという有名な話があるけれど。

石原 『シェラザード』にしても、何度も演奏している曲なのに、最初にハープがポロロンって鳴っただけで、「これから何が始まるんだろう?」って少女のようにわくわくしました(笑)。

小笠原 私はみんな初めて演奏する曲だったし、細かな要求について行くのに必死でした。でも、その半年前くらいにチェコから帰ってきたところだったので、ああこのフレーズ感がチェコなんだなぁ、って思うところがたくさんありました。

石原 同じところを何度も何度も練習したよね。ちょっとでも不満だと許してくれない。でもここをこうしろ、って言葉ではほとんど言わない。だからみんなが自分で考えながら音楽を作っていきました。(名ヴァイオリニストの)ヨゼフ・スークさんが、彼はすばらしい教育者でもあるよ、っておしゃっていたけれど、ほんとにその通り。私たち大の大人がみんな、あの練習と本番を通じて成長できたと思う。

小笠原 エリシュカさんは私たちをどう見ていたのでしょう。

石原 リハの最中も、昨年チェコに行ったときもお話ししましたけれど、ご本人もとても喜ばれていたんですよ。手前味噌になっちゃうけれど、札響はリハーサルばかりか本番の最中にもどんどん変わっていって、それを客席の皆さんもちゃんと感じてくださっていた。あれはすばらしい演奏会だった、って。札響よりうまいオケは世界にたくさんあるけれど(笑)、ああいう純粋な気持ちで演奏ができるオケは少ないよ、って言ってくださいました。

 

インタビュー

もしも今の私が40歳だったなら―

ラドミル・エリシュカ

 

 私が初めて日本に来たのは、ついこの間、2004年の11月のことにすぎません。札響を初めて指揮したのは、06年の12月です。芸術の森の練習場でリハーサルが始まったとき、すぐに相性の良さを確信しました。そして楽員の皆さんの多くもそう感じてくださったことが分かりました。

 札幌で最初に迎えた朝、ホテルの朝食がとてもおいしかった。家内と、この朝食を食べにまた来られたらいいね、などと冗談を言ったことを覚えています。08年春から首席客演指揮者というポストをいただいたのは、私と札響との演奏会の評判が良かったからでしょう。日本のほかのオーケストラとの仕事も生まれました。私の音楽家人生は、70歳を過ぎて突然新たな、そして驚くべき展開を迎えたのでした。

 チェコのドヴォルジャーク協会の会長を務めている私は、日本の皆さんがドヴォルジャークをとても深く受け入れてくださっていることを、うれしく思います。ご存じのように彼の音楽はまず、すばらしいメロディーにあふれています。例えばスラヴ舞曲(全16曲)には、普通の作曲家が一生をかけてようやく書き上げるくらいの数ほど美しいメロディーがある、と言われるほどです。

 私はかつて20年間にわたってカルロヴィヴァリ交響楽団(名高い温泉保養地カルロヴィヴァリ=ドイツ名「カールスバート」=にある)の音楽監督を務めました。チェコ最古のオーケストラで、『新世界より』のヨーロッパ大陸初演を行った楽団です。冷戦時代のことで西欧やアメリカへのツアーなどはできませんでしたが、ここで私は、チェコの現代作曲家の作品を多く取り上げました。初演の数は140回くらいに上ったでしょう。同時代に生きる音楽家として、それが私の仕事であると確信していました。

 いま札幌の皆さんは私をドヴォルジャークのスペシャリストだとお思いでしょう。それは光栄なことですが、私がもし私が40歳だったなら(笑)、これから札響と演奏してみたい曲はさらに大きく広がるはずです。現代曲とまではいかずとも、例えばマーラーやストラヴィンスキーだって取り組んでみたい。でも現実に返れば、やはりまず、チェコやスラヴの音楽にじっくりと取り組んでいくことにいたしましょう。

 

■ミニコラム オーケストラの日

 「オーケストラの日」は2007年、日本オーケストラ連盟がオーケストラをもっと身近に感じてもらうきっかけにと、日付の読みを「ミミにいちばん、ミミにいい」ともじった3月31日をその日と定めた。当日または直近の日にさまざまなコンサートやイベントを実施している。

 首都圏では各オーケストラのメンバーによる「オーケストラの日 祝祭管弦楽団」の演奏会を開くなどしており、札響ではCD録音用練習の一般公開(2007年3月27日、恵庭市民会館)を行ったほか、日程がその日に近い旭川公演(08年)や富良野公演(09年)を記念公演に当てるなどしている。

 

2009年

 2月定期の注目は、尾高指揮によるブルックナーの交響曲第4番『ロマンティック』と、コンサートマスター伊藤亮太郎独奏のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番。

 3月定期は、ハンス=マルティン・シュナイト指揮によるベートーヴェンの交響曲第6番『田園』と、ブラームスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン:神尾真由子)で、両日ともチケットが完売となった。

 

 4月定期は再びエリシュカ指揮で、チェコ音楽からヤナーチェクの組曲『利口な女狐の物語』とドヴォルジャークの交響曲第7番が組まれ、9月にライヴ盤のCDが発売された。

 5月定期は尾高の指揮で、チェロ首席の石川祐支がドン・キホーテを、ヴィオラ首席の廣狩亮がサンチョパンサを務めるR.シュトラウスの交響詩『ドン・キホーテ』。この作品を初めて手がけたとき(92年1月)にはソリストを東京から招いたが、今回は自前の楽員による演奏で、関係者と定期会員に札響の着実な成長を実感させた。

 6月にはロームミュージックファンデーションの助成のもとで自主製作した尾高指揮のCD「北欧音楽の新伝説」をフォンテックレーベルから発売した。3月の名曲シリーズ「北欧の神話劇」で演奏したグリーグとシベリウスの作品を中心にKitaraで録音したもので、札響の洗練された響きと優れた録音で専門誌等に大きく取り上げられた。

 この月の定期は、高関によるオルフの『カルミナ・ブラーナ』。大編成のオーケストラに札響合唱団、札幌アカデミー合唱団、HBC少年少女合唱団が加わって壮大な音楽劇を展開し、ファンを喜ばせた。さらにこの6月の名曲シリーズでは、三上亮がグラズノフのヴァイオリン協奏曲を独奏し、好評を博した。

 7月には山田一雄が1989年から91年にかけて指揮した公演を収めた5枚組CD「ベートーヴェン交響曲全集」が発売された。かつてファンダンゴレコーズから出されていたFM北海道録音の音源を、タワーレコードが復刻したもの。

 この月のPMF開幕初日のウェルカムコンサートでは、尾高の指揮でR.シュトラウスの「英雄の生涯」等を演奏、アカデミー生たちも演奏に加わり、教育音楽祭の一翼を担った。

 

 10月、公益法人制度が改められて新たに設けられた「公益財団法人」の認定を受け、新法人の登記を行った。道内では第1号、また国内オーケストラを含む芸能実演家団体でも初めてのことで、申請から認定まで7カ月を費やし、公益目的事業を行うことを主たる目的とする法人として、準則主義により設立された団体となった。認定申請の作業は外部業者に委託することなく自前の取り組みで得たこのいち早い公益法人化は、後に他のオーケストラや関係団体にモデル視されるものになった。

 また同じ10月、名曲シリーズにラドミル・エリシュカが初登場し、スメタナの交響詩『我が祖国』全曲演奏でファンを堪能させた。

 エリシュカ指揮の『我が祖国』全曲については、この公演前日にKitaraでセッション録音したCDがロームミュージックファンデーション助成により翌10年にパスティエルレーベルで発売され、『レコード芸術』誌の読者によるCD人気投票(10年発売分)で、日本のオーケストラとしては最高位の第9位を獲得した。またエリシュカが09年2月にNHK交響楽団を相手に行った演奏会は、「2009年 心に残ったN響コンサート コンサート編」で第1位に選出されるなど、エリシュカの人気は全国的なものになった。

 

■ミニコラム うかがえる苦心 地方定期

 道内各地に地名を冠した「札幌定期演奏会」がある。その流れの中に開催側事務局と札響事務局の苦心、北海道の状況の変化が垣間見える。

 「第1回定期演奏会」が2つあるのは苫小牧で、1992年11月と94年1月に開かれている。後者は実行委員会の組織し直しての開催で、再度「第1回」とうたった。近年は「スプリングコンサート」「緑のコンサート」など工夫を凝らして開催を重ねている。

 網走は2011年で第35回を迎える“老舗”だが、グリーンコンサートや「第9」演奏会なども定期演奏会に位置付けて回数をカウントしている。稚内は総合文化センター落成2年後の1986年かrア始まり、2011年で26回になる。江別は1993年の「第6回定期」以来「ニューイヤーコンサート」が定番となっている。

 ほかにも、回数を入れていないところ、数回の開催を経てから回数を入れ始めたところ、開催の間隔が定まっていないところもある。三笠、芦別といったかつての産炭地でも定期演奏会が開かれていたが、途絶えているのが社会構造の変化を感じさせる。

 

2010年

 1月、上砂川110年・開町60周年記念の演奏会に出演。上砂川町での演奏は初めてのことだった。この年にはこれまで行っていなかったまちのうち東神楽、和寒、古平でも公演を行った。

 3月には高関・札響としては初のCDである『カルミナ・ブラーナ』を発売した(ALM RECORDS)。前年6月公演のライヴ盤で、『レコード芸術』誌4月号で特選盤に選ばれた。この月の理事会では、2011年度創立50周年記念欧州演奏旅行を11年5月19日から約2週間、ドイツ、英国、イタリアの3カ国で実施する計画案が発表された。

 またこの月にはKitaraが新しいオペラハウスを見据えたオペラ・プロジェクト、モーツァルト『フィガロの結婚』ハイライト上演を企画。配役は地元のオペラ団体から選ばれ、オペラ振興の新事業として注目を集めた(指揮:高関健、演出:伊藤隆浩)。

 

尾高時代の成熟期へ

 

2010年3月 音楽監督の契約延長調印式(左:尾高忠明、右:西村善信)(札幌コンサートホール)

 

 2010年4月、尾高忠明と音楽監督の契約を5年間延長。両者の深い関わりが続くことが決まる。

 高関も正指揮者として7年がたった。その思いを北海道新聞でこう語っている。

 「実は初めて客演した年から数えてちょうど25年です。正指揮者になった2003年は札響の経営が一番大変だった時期で、一緒にここまでやってきた自負はあります。内部的に良くなっていこうという時期と重なり、成長する時代でした」(2010.1.5夕刊)

 4月定期には、この月としては3年連続のエリシュカが登場。札幌の春はチェコ音楽からとばかりに、このときもドヴォルジャークとヤナーチェクのプログラムが組まれた。

 この月のほくでんファミリーコンサート(福島町、登別市)では、ホルン首席の橋本敦が、モーツァルトのホルン協奏曲第2番でソリストを務めた。

 6月、伊藤亮太郎、三上亮、廣狩亮、石川祐支の4人の首席奏者によるNew Kitara ホールカルテットがデビューした。“先代”は札幌出身の金木博幸(チェロ、東京フィル首席)を含む東京の一線の奏者たちによるものだったが、今度は札響のトップ勢が新たな活動へと乗り出した。

 この月、理事長に新たに村田正敏北海道新聞社社長が就任し、坂本眞一、藤田久雄両副理事長は再任となった。

 7月には「夏の特別演奏会 3大ピアノ協奏曲」を開催。円光寺雅彦指揮のもと、投票によって選ばれた3大名曲、チャイコフスキーの第1番、ラフマニノフの第2番、グリーグの協奏曲それぞれを清水和音、横山幸雄、田部京子が独奏する豪華な演奏会となった。

 PMFではオープニングコンサート(7月8日、Kitara)と、毎年札幌での最後に行っている「ピクニックコンサート」(8月1日、札幌芸術の森野外ステージ)に出演した。

 PMFとの関わりについては1990年の創設からここまでの20年間、年ごとの紹介を重ねてきた。PMFで学んだ学生は世界中の音楽界で活躍しており、札響の楽員となった人も初年度から生まれて、今では8人にのぼっている。ここでそのメンバーをまとめて紹介しておこう。

 島方晴康(ホルン)90年参加・90年入団、荒木均(チェロ)90年参加・93年入団、物部憲一(ヴィオラ)93年参加・94年入団、多賀万純(ヴィオラ)2002,03年参加・05年入団、玉木亮一(テューバ)02年参加・04年入団、武田芽衣(チェロ副首席)04年参加・09年入団、冨田麻衣子(ヴァイオリン)06,07年参加・08年入団、大家和樹(ティンパニ、打楽器) 10年参加・11年入団。

 

 9月には弦楽器・管楽器の楽員9人による室内合奏団「カメラータ札幌」のデビュー演奏会がKitara小ホールで開かれ、楽員それぞれが第一級の腕の持ち主であることを示した。

 10月、コンサートマスターの大平まゆみが定期では初めてソリストとして登場。デリック・イノウエの指揮でラロ『スペイン交響曲』を熱演した。

 この月には飯森範親を迎えて5公演の道東ツアーを行い、帯広ではピアノ、網走ではフルートの独奏に地元の演奏家を起用して好評を博した。

 さらにこの月「大人のためのファーストコンサート」(主催:札幌コンサートホール)が開かれ、高関健の指揮でロッシーニの歌劇『ウィリアム・テル』序曲、ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』を演奏した。小学校6年生を対象としている「Kitaraファーストコンサート」の大人版で、1000円という格安のチケットで、クラシック音楽への敷居をできるだけ低くして生のオーケストラ音楽にふれてもらう狙い。

 11月には、6月の名曲シリーズ「白夜の北方圏」に合わせて札幌芸術の森で録音した3作目の自主製作CD、「北欧音楽の新伝説2」を発売(フォンテックレーベル)。これも『レコード芸術』誌2011年1月号で特選盤に選ばれるなど、絶賛を博した。

 この月にはまた、札響と札幌コンサートホールが連携して、「Kitara&札響セレクション~北の精鋭アーティストたち」が開催された(指揮:円光寺雅彦)。北海道で音楽活動をしている個人を対象に、オーディションによって札響と協演する機会を提供しようというもの。日演連推薦新人演奏会が全国を対象にしているのに対して、こちらは北海道限定で、資格年齢の幅も広げている。

 12月は、1980年から始まり5年ごとの開催で30周年を迎えた「清水町第9交響曲演奏会」。円光寺雅彦の指揮で、大きな盛り上がりを見せた。

 
 

2011年

 「創立50周年記念」と銘打った演奏会は1月の浦河から始まった。

 2月には、トロンボーンセクション全員によって結成された札幌トロンボーン四重奏団(山下友輔、中野耕太郎、田中徹、野口隆信)がデビュー。同月の定期演奏会では、ミクローシュ・ペレーニ(チェロ)と4年ぶり2度目の協演があった(ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番、指揮:尾高忠明)。

 3月11日、わが国有史以来最大規模の地震と津波が東日本の太平洋岸を襲った。死者・行方不明者が3万人近くにものぼる東日本大震災である。これまでに札響が演奏したいくつものまちも大きな被害を受けた。復興への道筋を探るなか、地域や国の在り方について多くの議論が交わされていった。

 3月の定期演奏会は18日・19日の開催。マーラー没後100年を記念した交響曲第7番『夜の歌』の演奏を、高関は長年の楽譜研究の成果と位置づけていた。冒頭では、大震災犠牲者の鎮魂のために、チャイコフスキー『モーツァルティアーナ』から「祈り」を演奏した。

 この年も、4月定期はラドミル・エリシュカが担う。4年連続である。プログラムは、ドヴォルジャークの『スターバト・マーテル』。震災被害と福島第一原子力発電所事故のために多くの外国人アーティストが来日を取りやめるなか、エリシュカは、イエスの磔刑を嘆き悲しむマリアを主題としたこの大曲を、東北の被災者たちに捧げた。

 

50周年記念ヨーロッパ公演

 

 2011年5月、札響は一行114人で創立50周年記念ヨーロッパ公演に出発した。ドイツ、イギリス、イタリアの3カ国5都市での演奏で、ドイツは「日独交流150周年」記念事業の一環。プログラムは、以下からの組み合わせで構成された。武満徹『ハウ・スロー・ザ・ウィンド』、ショスタコーヴィチの交響曲第5番、チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』、そして諏訪内晶子とのヴァイオリン協奏曲はプロコフィエフとブルッフのそれぞれ第1番。

 開幕は、札幌の姉妹都市であるドイツのミュンヘン(フィルハーモニー・アム・ガスタイク)である。名門オーケストラが行き交うまちでの演奏で、アンコール(エルガー『エニグマ変奏曲』から「ニムロッド」)では総立ちの拍手を受け、幸先の良い手応えをつかんだ。10年ぶりとなる次のロンドン(ロイヤル・フェスティバル・ホール)で得た高評価も一同に大きな自信をもたらした。

 

2021年5月22日 札幌交響楽団創立50周年記念ヨーロッパ(ミュンヘン)公演(ドイツ・フィルハーモニー・アム・ガスダイク) 尾高忠明(指揮) 撮影:野口隆史

 

 イタリアは、南部のサレルノと北部のミラノでの公演。リゾート地サレルノでは歴史ある歌劇場「テアトロ・ヴェルディ」での演奏で、チケットはほぼ完売の盛況だった。

 

2021年5月25日 サレルノでの全員写真(イタリア・テアトロ・ヴェルディ) 撮影:野口隆史

 

 最後の地ドイツのデュッセルドルフ(トーンハレ)では、ツアー中にさらに磨きがかかったプレイヤーたちの自発性も発揮され、楽員たちにとっても忘れがたい演奏となる。

 

2021年5月27日 札幌交響楽団創立50周年記念ヨーロッパ(デュセルドルフ)公演(ドイツ・トーンハレ) 尾高忠明(指揮) 撮影:野口隆史

 

 毎回初めてのホールで、遅い開演時間、5公演のうち4つが乗り打ち(到着日公演)というなか、楽員ひとりひとりは、国内ツアーでは得られない大きな財産を得たことを実感していた。

 全員には、震災に揺らぎながらも日本の復興への意志は強い、というメッセージを伝えたい思いがあった。それに応えるように、ミュンヘンでは在住邦人たちが義捐金を集め、ロンドンでは入場料収益がジャパン・ソサエティと日本赤十字を通して被災地に贈られた。

 6月4日、Kitaraで、同じ出演者により武満、ブルッフ、チャイコフスキーのプログラムで行われた帰国記念演奏会は、後日NHK-Eテレ(4月、「教育テレビ」から改称)で全国放送された。

 

 この月、専務理事が西村善信から小沢正晴に代わった。またヴィオラ首席の小峰航一が退団した。

 

 ここまで札響の50年間の歴史をたどってきた。半世紀を経ての数字をいくつか挙げておこう。

 公演数は5486回で、年平均では110回になる。うち札幌市内58.8%、道内35.3%、道外5.4%、国外0.5%である。

 聴いた人の合計は1公演当たり1000人とすると550万人になり、50年間で北海道の全人口に当たる人たちに音楽の喜びを届けたことになる。

 道内179市町村のうち170市町村で公演(未開催は9町村)。定期演奏会は539回。

 ほくでんファミリーコンサートは96市町村で開催し、総入場者数は55万7697人である。

 

札響50周年に寄せて

ウラ・シュヴァルツ

 

 ペーター・シュヴァルツがこの世を去ったのは今から13年前、奇しくも札幌の方々との感動的な再会を果たした直後のことでした。

 彼は生涯にわたって札響を心底から愛し続けました。

 彼に代わりまして、札幌交響楽団への感謝と、記念の年への心からのお祝いを申し上げます。

 

 12歳だった娘エリの姿が、魔法のように、私たちの人生に大きな意味を持つ魅力的な昭和44年の世界に私を連れ去り、家族の全員の日々を浮かび上がらせます。

 南11条西7丁目。屋根屋根の上高く、藻岩山のシルエットの後ろに沈む太陽。角にあった、賑やかで色彩あふれる市場の、素晴らしい果物と花々。うなるような雪の嵐。2人の娘リズとエリの、膝まで埋まる、中島公園を横切る通学路。ときどき鎖に繋がれた小熊のいたアイヌ民族関係の施設。響き、色、匂い。ラーメンを欠かすことのなかった日々。そして美しい焼き物の器。

 札幌滞在中には沢山の方々にお世話になりました。日本の美しさや生活習慣を教えていただき、日常生活においても様々な面で助けていただきました。ドイツの詩や文学を一緒に読んだこともありました。とても感謝しております。

 私は、この素敵な国を見せてくれた、ドイツの詩人言うところの「でこぼこの道をならしてくれた友たち」に思いを馳せています。

 私は今でも文化会館で開かれたコンサートのことを鮮明に覚えています。素晴らしいハーモニーを醸し出す息の合った演奏と聴衆の感動が渦巻き、“まるで乾ききった芝生に恵みの雨が降ったようだ”と批評家が絶賛しました。幸せに満ち足りた夕べでした。私のすぐ傍には尊敬申し上げる阿部(謙夫)先生が同席されていました。

 

 雲間から差し込む夕日に輝くウィーンの森を見ていますと、私の思いは地球を巡り、思い出が蘇ります。今でも私の財布には、北海道の友人が贈ってくれた小さな亀のお守りが入っています。

 

 
 

 

(文中の敬称は略し、肩書は当時のもので記載しました。地名も当時のもので、変更や合併により現在とは異なっているところがあります。引用文については、文字遣いなど、本書のスタイルに改めたところがあります。)